21世紀農場から手紙が届きました。


GINAを支援してくださる皆様へ


 はじめまして。アカ族のヌン(仮名)と申します。この度は、たくさんの支援金をありがとうございました。GINAを支援してくださる皆様のおかげでなんとか頑張って生活しています。


 私がHIVに感染しているのが判ったのは2010年の春ごろです。それまでもなんとなく疲れやすくなっていて、おかしいなとは思っていたのですけど、なかなか病院を受診する気にはなれなくて。けれども当時の私は少数民族の子供たちの寮の寮母をしていましたから、子供たちに迷惑がかかってはいけないと思って病院に行ったのです。


 診察の結果はHIV感染症でした。もちろんHIVに感染していたことは大変ショックだったのですが、感染そのものよりも仕事を失うことの方が私にとっては大変なことなのです。私には小学生の息子がいるのですが、息子は現在寮で生活をしています。寮費が年間5万円くらいかかるのですが、私が仕事をなくすとこのお金が払えなくなってしまうのです。


 私だけなら死を選んでいたかもしれません。けど、小学生の息子はどうしても見殺しにできない・・・。それで以前からお世話になっていた21世紀農場の谷口巳三郎先生を頼ったのです。そして、巳三郎先生がGINAに支援を依頼してくれたおかげで今私はこうやって生きているのです。


 少し私の生い立ちを紹介しておきます。


 私は山岳民族のアカ族の人間です。ですからタイ人ではありません。普通のタイ人が受けるような教育も受けずに育ちました。ですから、私がペンをとって手紙を書くことはできず、こうして巳三郎先生に代筆してもらっているのです。


 私は2回結婚しています。小学生の息子は最初の夫との間にできた子供です。その夫とはビルマの生まれ故郷で結婚しました。主人は若くして死んでしまい、そのときは原因不明だと言われていましたが、今になって考えてみればエイズを発症していたのかもしれません。2回目の結婚は私が寮母としての仕事をしてからです。しかしこの夫もしばらくして死亡しました。エイズだったという噂もありましたから、私がHIVに感染したのはこの2番目の夫からかもしれません。それから、一緒に生活するようになる男性ができたのですが、この男性は台湾に出稼ぎに行くと言って数年前に出て行ったきりで、連絡がつきません。きっと私のもとに帰ってくることはないでしょう。


 私がHIVに感染したのは最初に結婚した夫なのか、2番目に結婚した夫なのか、台湾に行ったきり帰ってこない男性からなのか、それは分かりません。しかし誰から感染したのかということは、今の私にとってはどうでもいいことです。


 今の私の生活について報告させてください。生活費は日本円でだいたい月あたり8千円程です。この8千円とは別に医療費がかかります。私はタイ国籍を持っていないのでタイ人のように無料で治療を受けることができず毎月6千円程が必要になります。それから小学5年生の息子の寮費として年間5万円程度が必要です。


 私は裁縫が少しできますので、ランチョンマットやポーチをつくっています。GINAを支援してくれている皆様に買っていただいていると聞いています。これからもよろしくお願いいたします。


2011年1月(ヌン)


注1:手紙には実名が記されていますが、プライバシー保護の観点からヌンさん(仮名)とさせていただきます。この手紙はヌンさんが直接書いたものではなく、21世紀農場の谷口巳三郎先生が代筆し、さらにその内容をわかりやすくするためにGINAスタッフが改編しています。


注2:ヌンさんが作成したランチョンマットやポーチは、現在(医)太融寺町谷口医院で販売しています。価格は450円から500円くらいです。売上金は全額を支援金としています。

こちらに向かって歩いているのがヌンさん。
中央の家がGINAの支援金で建てられたヌンさんの新居。


 

ヌンさんの家の台所用品。
これだけを使って自炊をしています。


 

ヌンさんがつくっている工芸品