北タイのHIV事情について学んだこと

2011年4月 吉村やよい 

 2011年3月から4月にかけてタイ北部に滞在中、様々な保健医療機関や行政機関等を訪れることができました。その中で、行政の協働的な取り組み、地域と医療機関の連携、活発な自助グループの活動といったプラスの面に驚く一方、山岳民族の国籍問題や若者たちのHIV感染率の上昇などタイ北部におけるHIV問題の複雑さにも触れました。そうした内容をHIV問題に関連する施設への訪問を中心にまとめました。

【パヤオ県HIV対策会議について】
2011年3月15日、パヤオ県HIV対策会議に参加しました。この会議は、2011年に発足したパヤオ県HIV対策委員会が開いているもので、HIVの感染予防をより強化することを目的としています。委員会には郡長、保健局長、各村の村長、国会議員といった行政関係者のほか、病院長、軍隊の担当者、警察の担当者、地元のラジオ局長、学校長、僧侶、財団、NGOなど31の委員が参加しています。この委員会は年に2回の会合を行い、主に以下の活動を行うことになっています。

・ HIV感染防止強化策の協議、策定
・ 各自が実施した問題解決策の報告、見直し
・ 国への報告、他地方との意見交換
・ 各村の問題解決プランの実施状況の監督

会議では最初に、感染者数、死亡者数、年齢別・職業別有病割合、感染経路などのHIV感染に関するデータの報告が行われました。それによると、パヤオ県では1989年から2010年の21年間に17,029人(男性:10623人、女性:6,406人)がHIVに感染し、そのうち7,512人が亡くなりました。

現在の有病割合は年齢別では35~39歳がもっとも多く、次いで30~34歳、40~44歳となっています。職業別に見ると農民が9,405人で全体の55%を占めており、感染経路は90.39%が性交渉、4.8%が母子感染、0.2%が麻薬です。
 

 
(左:会議中の様子。右:財団による活動報告の様子。スライドを用いた分かりやすい報告がされていました)

このようなデータ報告の後、各出席者からのプレゼンテーションがなされます。各村からは実施した対策プランについての報告がありました。例えば、ある村は38人の村内の感染者に対し、500バーツの経済援助を毎月行っています。また、別の村では村の予算から年間3万バーツを、エイズ教育を行っている若者グループへの支援に充てています。

一方NGOや財団からは、実施した問題解決プランの報告のほかに行政のHIV対策に関する意見、現場からの問題提起がなされていました。例えば、あるNGOの代表者からはエイズ孤児の問題が深刻化している現状が報告され、行政はエイズ孤児への基金を充実させるなどして、もっと子どもたちのサポートに力を入れてほしいとの訴えがありました。

この会議への参加を通し、HIVがタイにおいて非常に大きな社会問題であることを改めて認識しました。それと同時に、様々な業種の人々がそれぞれの持ち場で役割分担をしながらHIV問題に取り組んでいることがよく理解できました。例えば、学校長はエイズ孤児の教育、生徒たちへのエイズ教育に関わっており、警察はエイズと麻薬のつながりに関わっています。また僧侶は、発症した患者さんへの見舞いや説法を行い、精神面から患者さんをサポートしています。

こうした様々な業種の人々が垣根を越えて同じ委員会のメンバーとして集い、それぞれの視点から捉えたHIVに関する問題を話し合い、対等に意見交換をすることでより良い対策を考えていこうとすることは、大変有意義なことだと思いました。特に行政側だけでなく、感染者の支援を精力的に行っているNGOや財団が委員として名を連ね、現場の意見を直に行政の担当者に伝えることは、HIV問題の実情を捉えた有効な対策を作る上で不可欠であると感じました。このような協働的な取り組みが今後より一層活発化されることが、パヤオ県のHIV問題の解決の鍵になるのだろうと思います。



【自助グループの取り組み】

GINAが支援しているHIV感染者の自助グループを訪問し、リーダーであるパシィさんからお話を伺いました。

13年前に患者同士の健康相談会としてスタートした自助グループは10年前に財団と出会って活動の幅を大きく広げ、現在では120人のメンバーを抱える大所帯となっています。活動内容も初期は健康相談や経済的自立を促すプログラムなど感染者自身に向けたものが中心でしたが、現在ではエイズ孤児への奨学金プログラム、学校でのエイズ教育やラジオ放送による啓蒙活動、更には他の病気の相談受付などにまで広がっており、多くの社会参加活動がなされています。

この自助グループで同じ病気と闘う仲間と出会うことでHIV感染者であるメンバーは大きな心の支えを得ることができ、気力が充実し、身体的にも強くなっていくそうです。また自助グループの活動を通して社会活動に参加することによって、メンバーは生きがいを見つけ、自分に対するする自信を深めていくこともできます。
 
(左:自助グループの活動拠点の建物。右:建物内では患者さんの作った布製品を販売しています)

 
(左:建物入口。中は床がピカピカでした。右:建物内には仏像も祀られていました)

 
(左:内部の一角の子ども用スペース。右:自助グループのメンバーとの記念写真)

<現在抱えている最も大きな問題‐若者のHIV感染率の上昇>

 現在タイでは15歳~20代の若者のHIV感染率が上昇しており、自助グループとしてもこの事を深刻に受け止め、様々な取り組みを進めています。

毎週土日には子どもたちが交代でラジオ放送を行い、若者向けのHIV啓蒙活動を行っています。また近々自助グループ内に子ども部門を作り、子どものメンバーの中から委員を選び、定期的なミーティングを行って感染率上昇の原因を探ったり、同世代に対するアプローチ方法を考えたりしていく予定だそうです。

大人から一方的に注意や指導をするのではなく、あくまでも子どもたち自身にこの問題を考えさせ、同世代同士で話し合ったり、相談し合ったりすることを目的にしながら、この問題への主体的な取り組みを強化させていくことを考えています。

 自助グループではこれまで何年も学校でのエイズ教育を続けてきましたが、それでも若者の感染率は上昇しています。これはやはり学校教育が不足しているためだとパシィさんは考えており、学校でのエイズ教育にさらに力を入れるように、国に提言することも考えているそうです。
  
このように、自助グループは非常に精力的な社会活動を展開しています。患者同士が情報交換をし、仲間を得る“患者会”は日本にも多くありますが、“患者”という立場を超えて社会の為になる活動をこれ程活発に行っている自助グループは、私は日本では聞いたことがありません。「自分たちが社会に対して出来ることはまだまだあると感じている」とパシィさんはおっしゃっていましたが、その言葉は本当に気力が充実し、自分たちの活動にやりがいを見出していないと出ない言葉だと思います。

病気になれば不幸というのが一般的な認識ですが、この自助グループには逆に、HIVになって自助グループに入ったことをきっかけに以前よりも生き生きとした生活が始まったと感じている人も多くいるのではないかと思います。それだけの精神的充実感を与えられる自助グループの活動は、本当に意義深いと感じました。

【山岳民族の問題について】

 今回の滞在中に様々な所へ出かけ色々な人から話を聞いているうちに、HIV感染者の中でも、山岳民族の人々は一般のタイ国民の感染者よりも、非常に苦しく、またリスクの高い立場にあるということが分かりました。

<国籍問題>
チェンライ県にあるモン族の村で3泊4日のホームステイをさせて頂き、その際に村に住む28歳の無国籍の女性から話を聞くことができました。
 
(左:ホームステイをしたヤオメータン村。右:餅つきをする村の人々。)

 その女性はラオスとの国境沿いで生まれ、幼い頃にタイに入国したそうです。8歳の頃家族と共に国籍申請をしたのですが、20年経った今でもタイ国籍を取得できずにいます。女性は既に結婚して子どももおり、旦那さんと子どもはタイ国籍を持っていますが、女性だけが無国籍のままだそうです。タイ国民が持つIDカードの代わりに役所から配られた国籍取得中を示すカードを持っており、それが唯一の身分証明書だそうです。

 無国籍で困ることというのは数限りなくあるそうです。正式な就労もできず、移動はチェンライ内に限られ、水道・電気などの公共サービスも受けることができず、銀行口座も作れず、タイ国民と異なり医療費は実費負担になります。女性の場合は旦那さんがタイ国籍を持っているので、自宅で電気・水道を使うことはできますが、同じ村に住む家族全員が無国籍(国籍取得中)の一家の場合は、近所の人に頼み、近所の人名義で電気や水道を引いているそうです。

 こうした制約を強いられている無国籍の山岳民族の人々にとって、病気になるということは大変なことです。HIV感染者の山岳民族の人々(国籍問題を抱える人たち)は、元々正式な就労ができないために経済的な困難を抱えている上に、医療費を実費で負担していかなければなりません。その苦しみは想像に難くなく、そうした人々への支援の必要性を強く感じました。

<麻薬のリスク>
 チェンライにあるサハサスクーサ学校は幼稚園から高校までが同じ敷地にあり、約2,400人の全校生徒のおよそ8割が山岳民族の出身です。この学校を訪問した際には、麻薬問題が生徒たちに関する問題の中で今最も深刻であるということを知りました。

 タイ北部はラオスやミャンマーとの国境に近く麻薬の流通が盛んで、安く、簡単に麻薬が手に入るそうです。サハサスクーサ学校では昨年一年間で40~50人の生徒の麻薬使用が発覚し、今年は更に増えて約100人の生徒の麻薬使用が発覚しました。現在は、12歳以上の全生徒を対象に麻薬使用の有無をチェックするようにしているそうです。生徒たちが麻薬を手に入れる経路は様々ですが、一つには親自身が麻薬を使用していることによる影響もあるということです。

 麻薬の使用はそれ自体が非常に大きな問題であり、HIVの感染リスクを上げるという意味においても深刻な問題です。そうした麻薬が山岳民族の若者たちの間で盛んになっているということは、HIVの感染リスクが高まっているということでもあります。

 このことからも、山岳民族がHIV問題においてリスクの高い位置にあることが分かりました。


<山岳民族のHIV問題への取り組み>

 では、そうした山岳民族の人々に対してどのような支援がなされているのかというと、自助グループ代表のパシィさんのお話では、HIVに感染した山岳民族の人々のため、NGOが保証人となって政府に医療費を無料(または安く)にしてもらえるように頼むことがあるそうです。また牛などの家畜や米、ゴムの木を一年間貸し出し、経済的に自立できるような支援も行っているそうです。

 国籍問題が絡んでくると、一律のルールに従って動く行政機関の対応には限界が出てくると思います。したがって、上記のように柔軟に動けるNGOがバックアップし、山岳民族の感染者の治療や生活を支えることが不可欠になるのではないでしょうか。やはり、草の根レベルで精力的に活動するNGO等の存在はこうした苦しく、社会的に弱い立場にある人たちのためにも非常に重要だと思います。また、タイ全体でも若者のHIV感染率の上昇が問題になっていますが、山岳民族の麻薬問題はその傾向をより強くしてしまいます。タイ北部には昔からの麻薬の生産地もあり、その出回り具合を変えることはそう簡単ではないと思います。教育、啓蒙活動によって若者たちの自己管理意識を高めることが何よりも大切なのではないかと思います。

 【メーラオ病院見学】

チェンライにある国立メーラオ病院という非常に特色ある病院を訪問しました。この病院では、敷地内にHIVセンターの他に北タイで唯一の義足製作所、鍼・マッサージセンター、老人保健センター等を併設しており、遠方からの患者の為に宿泊施設も備えています。また日本発祥の食事療法であるマクロビオティックを導入し、患者へ指導しています。

病院の様々な方針には“食事と環境を整えることで人は自分の健康を守ることができる”という病院長の考えが色濃く反映されています。院長は西洋医学を学んだ結果、菌や病気と“闘う”西洋医学だけでなく、“病気と共に暮らす”東洋医学の観点を取り入れることで病気を自然の力で治すことができるという考えに至ったそうです。鍼やハーブマッサージ、体操、伝統的食事療法といった東洋医学で用いられる健康管理法はお金もあまりかからず簡単な為取り入れやすく、長い目でみてプラスに作用します。これらを取り入れ環境を整えることによって、自然に自分の健康を守る力が身につき、高血圧などの生活習慣病は日常生活の中で予防することができるし、薬の量も減らすことができるというのが院長の考えです。この病院ではそうした院長の信念に基づき、HIV問題への取り組みもなされています。
 
(左:義足製作の作業場。右:義足作りに必要な工具の数々。義足製作は国王からの援助を受けて設立された病院の基金により、無料で患者さんへ渡されます。北タイだけではなく、ラオスやミャンマーからも依頼がくるそうです)

 
(左:昼食に頂いたマクロビオティック食。右:病院内の義眼センター)

 
(左:病院の敷地内にある鍼・マッサージセンターの受付。右:マッサージ室。伝統的なタイマッサージや鍼、妊婦向けマッサージなどすべて保険適用されるそうです。とてもおしゃれで明るい雰囲気でした)

◆ メーラオ病院のHIVへの取り組み

去年(2010年)のデータによると、メーラオ郡の人口約3万人のうち、HIV陽性者は358人でした。そのうち291人がメーラオ病院で治療を受けています。(残りの人数のうち43人は死亡、24人は他の医療機関で治療を受けています)

・ 患者さんへの教育・研修

血液検査の結果HIV陽性が判明した患者さんに対しては、状態に応じて薬をもらうか、もらわないかの判断がなされます。病院側は薬をもらう前の患者さんに対して研修を行い、薬の飲み方や服用時間、副作用に関する知識を患者さんに持ってもらい、それぞれが自分の健康を守れるように支援しています。

また、HIV感染が判明した患者さんに対しては、健康状態の更なる悪化を防ぐことを目的とした研修を行います。飲酒や喫煙など体力を低下させ症状を悪化させる恐れのあるものを止めるというのが研修の目的ですが、ただやみ雲にそうした内容を伝えるのではなく、仏教の教えを取り入れ、僧侶の修行になぞらえて3ヶ月間という期間を決めて禁酒・禁煙に取り組むことを勧めています。

・ 東洋医学に基づいた取り組み

メーラオ病院では、WHOの示す国際基準に基づいた治療を行う一方、東洋医学や瞑想、お経、体操といったタイの伝統医療も積極的に導入しています。例えば、腹痛、頭痛などの体調不良が生じた場合もすぐに薬を飲むのではなく、マッサージや指圧を行い、そうすることで体全体のバランスを整えることを重視しています。

・ 地域との連携

病院は患者さんの住む地域のボランティアグループと密に連携しており、新たにHIV
に感染した人がいれば、病院からその患者さんをボランティア活動に加えてもらうようにグループへ依頼するそうです。そうして患者さんも玄米を作ったり、入院中の他の患者さんを見舞ったりするなどのボランティア活動に参加します。また、こうしたボランティアグループがHIV患者の自宅へ定期的に訪問し、薬をきちんと飲めているか、体調は悪化していないか等を確認する役割も担っています。こうしたボランティアグループへの参加はあくまでも患者さんの意向を踏まえた上で行っており、HIVに感染したことを隠しておきたい人、グループへの参加を望まない人については、当然のことながら本人の意思を尊重しています。

 また、病院は子どものHIV感染率が上昇していることへの対策として、毎年バレンタインデーに学校訪問し、コンドームの使い方を教えるなどのエイズ教育にも取り組んでいます。
 
(左:病院内のHIVセンター。右:センター内の事務所。中ではボランティアの人たちが打ち合わせをしていました)

 
(左:タイマッサージで使われるハーブボールを患者さんが作っているところ。右:出来上がったハーブボールはHIVセンター内でも販売されています)


 メーラオ病院を訪れて印象深かったことの一つは、病院と地域の連携力です。患者さんの治療そのものは病院が中心となって担っていますが、その患者さんが地域でどのように暮らしていけるか、また日々の闘病生活を順調に送っているかについては、病院よりも地域のコミュニティやボランティアグループの方がより把握することができます。そのようなボランティアグループと医療機関とがしっかりと協力し合うことで、HIVに感染した患者さんの生活が支えられ、より良いものになっていることは非常に良いことだと感じました。

 また、メーラオ病院では西洋医学だけでなく東洋医学・タイの伝統医療も導入されています。西洋と東洋の医学をバランス良く取り入れようとする試みが、大規模な国立病院で病院全体の方針として行われていることに驚きました。HIV患者への研修でも仏教を篤く信仰するタイの人々の価値観に基づいた取り組みが導入されていました。そのようにしてタイに元々ある文化や考え、伝統を活かした治療・ケアを行うことは、患者さんたちに適した方法、患者さん自身が長く納得して行える方法につながるのではないかと思います。

 ボランティアグループが活発に機能するほどの深い地域のつながりや、仏教信仰のような国全体の心の拠り所となる考えは今の日本では見られないものであり、タイの社会の強みであるように私には感じられました。こうした強みをきちんと活かした取り組みがなされていることは、本当に素晴らしいことだと思います。



吉村やよい(よしむら・やよい)
1982年奈良県生まれ。2004年立命館大学国際関係学部国際関係学科卒業。民間企業勤務を経て2010年大阪市立大学医学部看護学科へ学士編入学。

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