タイにおけるエイズのハーブ療法と伝統医療

谷口 恭     2006年9月

目 次

1 30バーツ医療の欠点
2 チェンマイのハーブ療法
3 見直されるタイの伝統医療


 
1 30バーツ医療の欠点

 エイズの治療に、ビートの根、ニンニク、レモン、芋などを摂取するよう指導している南アフリカ共和国は、世界中の科学者から「科学を尊重しない」「不道徳だ」などと糾弾され、国連大使Stephen Lewis氏からは「狂信的分派集団(lunatic fringe)」と激しく非難されましたが、チェンマイでは、HIV陽性者に対するハーブ療法の研究がおこなわれており、有効性が次第に証明されつつあります。

 9月13日のBangkok Postによりますと、タイで30バーツ医療制度を受けられない人の代替医療として、この「ハーブ療法」が推奨されることになるようです。

 「ハーブ療法」の詳細に進む前に、「30バーツ医療制度」の簡単な説明をしておきたいと思います。

 現在、タイ国の与党は、タイ愛国党(タイ・ラック・タイ、通称TRT)で、TRTの党首Thaksin Shinawatra(タクシン・シナワット)がタイ国の首相です。(「シナワット」は、タイ人に発音してもらうと「チナワット」に聞こえます)

 TRTは、1998年に設立された比較的新しい政党ですが、2001年に政権をとり、現在も与党の地位を維持しています。政権をとる際、タクシン首相が公約(マニフェスト)にあげたもののひとつが「30バーツ医療」です。タイでは、国民の多くが医療保険に入っておらず、病院へのアクセスが困難な状況にありましたが、「30バーツ医療制度」が導入されたことにより、無保険でも1回30バーツ(約90円)で治療が受けられるようになりました。

 一族の株売却に伴う脱税疑惑や南部のテロ勃発などで政権維持が危ぶまれている※タクシン首相ですが、北部や東北部(イサーン)では今でも絶大な人気があります。この理由のひとつが「30バーツ医療制度」の導入であり、多くの人が病院へのアクセスが容易になったと言われています。

※9月21日現在、タイでは軍部のクーデターが起きており、タクシン首相は失脚が濃厚です。

 ところが、実際には「30バーツ医療制度」が受けられない人も少なくありません。病院によっては、この制度を利用できるのは、一日に何人まで、と制限を設けているところもありますし、一部の山岳民族や、また、ラオスやミャンマーといった隣国から不法入国している人たちは30バーツ医療の対象とはなっていません。そして、こういった人たちの間にもHIVは蔓延しています。

 現在、30バーツ医療でのエイズの治療は、GPO-VIRと呼ばれるタイの公的機関が製造しているジェネリック薬品を用いるのが基本です。これは、Starvudine, Lamivudine, Navirapineという3つの抗HIV薬をミックスさせた薬剤で、現在タイ政府はおよそ5万人のHIV陽性者に対してこの薬剤を無料で支給しています。

 Bangkok Postは、「現在20万人から30万人の患者さんが、抗HIV薬を必要としているのにもかかわらず治療が受けられていない」、としています。現在、タイ厚生省は、CD4のレベルが200以下であることを条件に抗HIV薬を支給していますが、世界の標準的な考え方は、「CD4が200から350の間に、タイミングをはかりながらCD4が200以下とならないように抗HIV薬を開始する」、というものです。

 (尚、UNAIDSのデータでは、タイのHIV陽性者は58万人ですが、Bangkok Postは80万人とみています)


2 チェンマイのハーブ療法

 チェンマイの研究でHIVに対する有効性が認められた「ハーブ療法」は、その薬品は、通称「SH」と呼ばれています。Cortex Mori、Flos Carthamiという名のタイ北部で栽培されている2つのハーブをメインに、中国から輸入した3つのハーブ、Radix Astragali, Radix Glycyrrhizae, Herba Artemisiae Scopariaeをブレンドしたものです。このハーブの研究はタイの Department of Medical Scienceと、中国のKunming Institute of Botanyとの共同によるものです。

 このハーブ薬品は、タイFDA(食品医薬品局)に登録されている伝統薬品で、HIV陽性者の免疫システムを向上させるという準科学的証拠(preliminary scientific evidence)が認められた初めての漢方(ハーブ)薬品です。

 ハーブ療法の有効性が明らかとなった研究は、チェンマイのSanpatong病院の外来を受診している60人の外来患者さんに協力してもらうことによっておこなわれました。

 Sanpatong病院の医師で、この研究の責任者のVirat Klinbuayaem氏は言います。

 「我々の研究で、このハーブ薬品がエイズを発症していないHIV陽性者の免疫力を上げることが分かった。しかし、この研究は規模が小さいため、このハーブ療法の有効性を科学的に実証するには、大規模の追加研究が必要である。しかしながら、エイズの治療として効果があるということを現時点では科学的証拠をもって実証できていないとしても、少なくとも患者さんは希望を持つようになり、身体にも精神にもいい影響を与えている。」

 この研究の一年後、チェンマイ県とラムプーン県のクリニックを受診する患者さんを対象に小規模の研究がおこなわれました。その結果、ハーブ療法を抗HIV薬と併用することによって免疫力が向上するという結果がでました。


3 見直されるタイの伝統医療

 ハーブ療法の普及よりも、無償の抗HIV薬の徹底した支給の方が大切だとは思われますが、抗HIV薬と併用することによる有効性を示す研究もあるようですし、比較的副作用が少なくまた安価でもあることから、こういった研究は非常に有用であるように思われます。

 タイでは最近伝統医学が見直されつつあります。タイの伝統医療について少し詳しく紹介したいと思います。

 現在、タイ伝統医療を専門とする医療従事者は4つのカテゴリーに分類されます。ひとつめが、伝統医療を治療行為に利用する専門医で1万5612人が登録されています。ふたつめが、漢方薬(ハーブ)を調合する薬剤師で2万533人の登録があります。3つめが、助産師で3661人(日本で言えば産婆さんのような人)、そして4つめが、マッサージ師で80人が登録されています。

 登録されているマッサージ師が少ないのは免許制度が導入されたのが2005年9月29日と、まだ歴史が浅いからです。マッサージ師にも昔は免許制度がありましたが、1936年に廃止されていました。

 現在、これら伝統医療の医療従事者の大半は、医療機関に勤務するのではなく、フリーランスに近い立場で仕事をしています。

 2002年10月3日に、タイの伝統医療を研究・開発し、その実用性を高めることを目的として、保健省の管轄に「伝統医療開発局」が設立されました。同開発局では、中国やインドなど他国の伝統医療の調査・研究もおこなっています。

 保健省の管轄の国公立病院でタイ伝統医療を導入しているところは多くあります。都・県レベルの保健省管轄の病院96カ所のうち92カ所(95.8%)で伝統医療を導入しています。郡レベルでは726カ所中626カ所(87.6%)、区レベル(多くは保健所)では9743カ所中7268カ所(74.6%)で伝統医療が活用されています。尚、伝統医療専門クリニックはタイ全国で396箇所ありますが、管轄は保健省ではありません。

 タイ伝統医療の導入に最も熱心な病院は、バンコク都トンブリ地区にあるシリラート病院です。シリラート病院はマヒドン大学医学部の附属病院としても機能しているタイで最も有名な病院のひとつです。1888年にオープンした同病院では、当初はタイ伝統医療による治療を行っており、また付属学校では伝統医療を教えるためのカリキュラムを組んでいたそうです。ところが、1915年に西洋医学が急速に流入したことにより、「伝統医療は価値がない」との風潮が強まり研究活動がストップしてしまいました。十数年前から、徐々に伝統医療が見直されるようになりましたが、病院・大学レベルで伝統医療の研究に本格的に取り組むようになったのは5年ほど前からだそうです。マヒドン大学医学部では、来年、4年制カリキュラムで伝統医療を学んだ第1期生が卒業します。

 マヒドン大学以外にも、国立大学では、スコータイタマティラート大学、ラムカムヘン大学、ラチャパット大学チェンライ分校、マハサラカム大学、タマサート大学などでも伝統医療が教えられています。すべて4年制課程が組まれていますがが、ラチャパット大学では博士課程まで用意されています。いずれの大学も新設されて間もなく、まだ卒業生を出していません。

 また、私立大学ではランシット大学が2003年に東洋医学部を開設し、1学年約150人の学生が伝統医療を勉強しています。授業科目の中心となるのはタイ伝統医療ですが、これに加えて、中国・インドの伝統医療、タイ式マッサージ、漢方(ハーブ)薬製造・開発など広範囲な科目を理論と実践の両面から学んでいます。

 来年は複数の大学で伝統医療科の第1期生が卒業する年となります。タイの伝統医療(再)発展の「幕開け」の年となるかもしれません。

 現在、漢方(ハーブ)薬の製造を行っているのは病院と私企業で、保健省は製造をおこなっていません。プラチンブリ県のアパイブーベー病院、ラチャブリ県のダムヌンサドゥアク病院などが薬草製造で有名です。また、私企業ではカオラオー製薬を始め、1000近い企業が製造しています。

 タイ伝統医療では、ハリやお灸を使用せず、薬草が最重視されます。比較的よく用いられる症状が、咳、下痢、発熱などで、現在タイ食品・医薬品委員会(FDA)には5000から6000の処方が登録されています。

 伝統医療開発局は8月30日から9月3日まで、ムアントンタニのインパクト展示場で「漢方(ハーブ)薬フェア」を開催しました。これはタイ伝統医療の主役である薬草に関する研究成果を発表するとともに、現在市販されている漢方(ハーブ)薬、そして伝統医療の最新情報を紹介するもので、今回で3年目となりました。

 現在のタイの伝統医療の問題点として、低予算、専門家の不足などがあげられますが、HIVに対するハーブ療法がより科学的な確証が得られ普及が進めば、それがきっかけとなり医療全体に一気に広がるかもしれません。

 日本人の間では、タイのハーブを愛用している人はそれほど多くないでしょうが、タイ古式マッサージが好きな人は少なくありません。古式マッサージの科学的有効性が実証されれば、タイの伝統医療が日本国内でも広く普及するかもしれません。

 
<参考>
Bangkok Post 13/Sep/2006「New, herbal medicine shows some potential」
バンコク週報 1234号(2006年9月4日)
「見直されるタイ伝統医療、専攻設ける大学が増加 進む漢方薬の研究・開発」 
バンコク週報 1234号(2006年9月4日)
「タイの伝統医療1「漢方薬の研究・開発に比重」 保健省伝統医療開発局長、ウィチャイ・チョークウィワット氏に聞く」

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