GINAと共に
第239回(2026年5月) ヒトは「炎症」のせいで感染症罹患者を差別する
過去に述べたように、私がHIV/AIDSに深く関わることを決意したのは研修医1年目の2002年、タイのエイズ施設Wat Phrabhatnamphuを訪れたときでした。タイでは抗HIV薬が手に入らなかった当時、HIVに感染するとそれは「死へのモラトリアム」あるいは「死へのカウントダウン」を意味しました。
エイズを発症し、身体はやせほそり、熱にうなされ、咳がやまず、生気をなくした若い患者たちは必ずしも死を受け入れているわけではなく、もう自力では食事も摂れなくなっていて、死がすぐそこに来ていることを分かっているはずなのに、それを認めようとしません。
どんな医療行為を施しても助かる見込みがない状態であり、それは受け入れるしかないのですが、私が彼(女)らと話をしていて、激しい怒りを抑えられなかったのが、家族から、地域社会から、そして医療機関からも見捨てられていたからです。
HIV感染が分かると、彼(女)らは家を追い出されます。バスに乗ろうとすると引きずりおろされ、食堂に入ろうとするとフォークを投げつけられ、苦しくて病院を訪れると門前払いをされていました。そんなことが許されていいはずがありません。
そういう話を聞くにつれて、私はこの疾患に生涯をかけて関わっていきたいと思うようになりました。そして、その後の医師としての経験を通して、HIV感染の有無に関係なく、他人から疎まれたり、医療者からも見捨てられる人たちの力になりたいと考えるようになりました。
タイから帰国した私は、医療者も含め、大勢の人たちに、当時のタイの実情を伝え、「こんな差別が許せない」とうことを伝え始めました。ところが、もちろん同意してくれる人もいるのですが、その反対に「それは仕方がないのでは?」とか「自分は関わりたくない」と考えている人がかなり多数いることに気付きました。
新型コロナウイルスが流行し始めた2020年、多くの医療者は感染者を忌み嫌いました。一方、自らへの感染のリスクを抱えながらも治療にあたる医療者に対し、一部には称賛の声も上がりました。「フライデーオベーション」という言葉を今も覚えている人はほとんどいないかもしれませんが、当時は世界中で、新型コロナウイルスと戦う医療者に敬意を払うムーブメントがあり、日本では福岡市が実行していました。
しかし、ベランダに出て医療者へ敬意をこめて拍手をするというこの行動、医療者の励みになるのは事実ですが、それはすなわち、医療者でないほとんどの人、さらに一部の医療者さえもが「自分自身は感染者に関わりたくない」と考えるが故に生じたムーブメントだと言えるのではないでしょうか。つまるところ、「感染症罹患者は嫌われる」のです。
もっとも、「嫌っているのではなく感染者に近づくと自分も感染してしまうから感染症予防のために距離を置いているだけだ」という理屈は成立するかもしれません。では、針刺しでもしない限り感染することがあり得ないHIVはどうでしょう。私がタイのエイズ施設を初めて訪れた2002年からすでに四半世紀近くがたち、タイではHIVに対する偏見・差別は随分と減りましたが、日本ではまだまだ残っています(つい先日もHIV陽性の患者さんを歯科医院に紹介すると「HIV陽性だから」という理由だけで断られました。現在血中ウイルスはゼロなのにもかかわらず)。
ハンセン病はどうでしょう。ハンセン病はよほど濃厚な接触をしない限り、他人に感染することはなく、実際日本には患者から医療者に感染したという報告は一件もありません。にもかかわらず、悪名高き「らい予防法」は1996年まで残され、隔離政策が続けられていたのです。
私は当初、HIV陽性者が差別されるのは「無知がもたらす愚かな偏見」が理由だと考えていました。だから、「正しい知識を普及させれば差別や偏見はなくなる」と信じたのです。NPO法人GINA設立の最大の目的はそこにあります。つまり、「HIVは差別されるような病ではないんですよ」ということを私個人が訴えるよりも、NPOという組織として主張する方が大勢の人たちに伝わるのではないかと考えたのです。
しかし、GINAの活動はそれほどうまくいったとは言えません。なぜなら、日本では、そして世界でも、HIVに対する差別・偏見は残っているからです。上述したように、医療機関でさえ、いまだに「HIV陽性者お断り」と堂々と宣言しているところもあるのです。
そして最近、なぜHIVが、ハンセン病が、初期の新型コロナウイルスがあれほど差別されてきたのかが少し分かってきたように感じています。なぜ感染症に罹患すると差別されるのか。それは人間にもともと備わっているメカニズムによるのです。
最近は時代に逆行しているような風潮もありますが、それでも過去100年近くにわたり、リベラルで平等な社会が正しいのだ、とされてきました。性別、人種、宗教、国籍などでその人を差別してはいけないというのは現代社会の絶対的なルールのはずです。たとえ、皮膚の色に偏見があったとしても、あるいはセクシャリティに違和感を覚えていたとしても、それを口にすることは許されず、「平等に」接しなければなりません。
しかし、理性ではそうであったとしても、人間の情動を司る「古い脳」はそのようには考えられません。科学誌「Psychological Science」に2010年に掲載された論文「他人の病気の症状を視覚的に認識するだけで、より積極的な免疫反応が促進される(Mere visual perception of other people's disease symptoms facilitates a more aggressive immune response )」によると、被験者に感染症の写真を見せると、炎症性サイトカインであるインターロイキン6の値が上昇することが分かりました。インターロイキンを含め血中サイトカイン濃度が上昇すると、人は不快な気分になります。つまり、この研究から言えることは、人は感染症患者を視覚的にとらえると、「自分が感染するから避けよう」という理性による判断とは無関係に、体内に炎症が起こるということです。
嗅覚もそのように反応するようです。科学誌「Chemical Senses」に2018年に掲載された論文「ヒト尿中の揮発性物質による炎症の検出(Detection of Inflammation via Volatile Cues in Human Urine )」によると、健康な被験者にリポ多糖という炎症を引き起こす物質を投与すると、尿の臭いに対する不快感が増加することが分かりました。通常、感染症に罹患した人の尿の臭いをかぐことはありませんが、太古の人間社会ではそのような場合もあったでしょう。あるいは自力でトイレに行けない人が入所している医療施設では医療者が患者の尿に接する場合があります。
これらの研究からいえることは、「人は感染症罹患者に近づくと自らにも炎症が生じて不快な気分になり、また、原因にかかわらず自身の体内に炎症が起こると不快な気分になるだけではなく他人から避けられる」ということになります。キーワードは「炎症」です。そして、炎症を生じる疾患の代表が感染症です。
これにはエビデンスがないのですが、例えばパートナーや家族がワクチンをうった日、なんとなくキスしたりハグしたりといった親密な行為を避けてしまうことはないでしょうか。常識的に考えれば「ワクチンをうった人は副作用が起こるかもしれないからそっとしておいてあげよう。そのために近づかない方がいいだろう」と判断している、ということになると思いますが、実は、ワクチンのせいで炎症が生じたことを本能が嗅ぎ取って、「この人には近づいてはいけない」と、遺伝子レベルで判断しているということはないでしょうか。
さらに話を進めると、感染症のみならず、がんや自己免疫性疾患、あるいは肥満、うつ病、認知症などでも炎症性物質(代表がC反応性蛋白=CRP)が上昇することがあります。そのような人がもしも「自分は避けられている」と感じているのだとすれば、それは周囲の人があなたの「炎症」を本能的に察知したからかもしれません。
ここまでくると私の妄想だと言われるでしょうが、「感染症罹患者が差別されるのはあってはならないことだけれども、人はもともと<炎症>を通してそのように行動するようプログラムされている」という考えは案外正しいのかもしれないという気がします。
エイズを発症し、身体はやせほそり、熱にうなされ、咳がやまず、生気をなくした若い患者たちは必ずしも死を受け入れているわけではなく、もう自力では食事も摂れなくなっていて、死がすぐそこに来ていることを分かっているはずなのに、それを認めようとしません。
どんな医療行為を施しても助かる見込みがない状態であり、それは受け入れるしかないのですが、私が彼(女)らと話をしていて、激しい怒りを抑えられなかったのが、家族から、地域社会から、そして医療機関からも見捨てられていたからです。
HIV感染が分かると、彼(女)らは家を追い出されます。バスに乗ろうとすると引きずりおろされ、食堂に入ろうとするとフォークを投げつけられ、苦しくて病院を訪れると門前払いをされていました。そんなことが許されていいはずがありません。
そういう話を聞くにつれて、私はこの疾患に生涯をかけて関わっていきたいと思うようになりました。そして、その後の医師としての経験を通して、HIV感染の有無に関係なく、他人から疎まれたり、医療者からも見捨てられる人たちの力になりたいと考えるようになりました。
タイから帰国した私は、医療者も含め、大勢の人たちに、当時のタイの実情を伝え、「こんな差別が許せない」とうことを伝え始めました。ところが、もちろん同意してくれる人もいるのですが、その反対に「それは仕方がないのでは?」とか「自分は関わりたくない」と考えている人がかなり多数いることに気付きました。
新型コロナウイルスが流行し始めた2020年、多くの医療者は感染者を忌み嫌いました。一方、自らへの感染のリスクを抱えながらも治療にあたる医療者に対し、一部には称賛の声も上がりました。「フライデーオベーション」という言葉を今も覚えている人はほとんどいないかもしれませんが、当時は世界中で、新型コロナウイルスと戦う医療者に敬意を払うムーブメントがあり、日本では福岡市が実行していました。
しかし、ベランダに出て医療者へ敬意をこめて拍手をするというこの行動、医療者の励みになるのは事実ですが、それはすなわち、医療者でないほとんどの人、さらに一部の医療者さえもが「自分自身は感染者に関わりたくない」と考えるが故に生じたムーブメントだと言えるのではないでしょうか。つまるところ、「感染症罹患者は嫌われる」のです。
もっとも、「嫌っているのではなく感染者に近づくと自分も感染してしまうから感染症予防のために距離を置いているだけだ」という理屈は成立するかもしれません。では、針刺しでもしない限り感染することがあり得ないHIVはどうでしょう。私がタイのエイズ施設を初めて訪れた2002年からすでに四半世紀近くがたち、タイではHIVに対する偏見・差別は随分と減りましたが、日本ではまだまだ残っています(つい先日もHIV陽性の患者さんを歯科医院に紹介すると「HIV陽性だから」という理由だけで断られました。現在血中ウイルスはゼロなのにもかかわらず)。
ハンセン病はどうでしょう。ハンセン病はよほど濃厚な接触をしない限り、他人に感染することはなく、実際日本には患者から医療者に感染したという報告は一件もありません。にもかかわらず、悪名高き「らい予防法」は1996年まで残され、隔離政策が続けられていたのです。
私は当初、HIV陽性者が差別されるのは「無知がもたらす愚かな偏見」が理由だと考えていました。だから、「正しい知識を普及させれば差別や偏見はなくなる」と信じたのです。NPO法人GINA設立の最大の目的はそこにあります。つまり、「HIVは差別されるような病ではないんですよ」ということを私個人が訴えるよりも、NPOという組織として主張する方が大勢の人たちに伝わるのではないかと考えたのです。
しかし、GINAの活動はそれほどうまくいったとは言えません。なぜなら、日本では、そして世界でも、HIVに対する差別・偏見は残っているからです。上述したように、医療機関でさえ、いまだに「HIV陽性者お断り」と堂々と宣言しているところもあるのです。
そして最近、なぜHIVが、ハンセン病が、初期の新型コロナウイルスがあれほど差別されてきたのかが少し分かってきたように感じています。なぜ感染症に罹患すると差別されるのか。それは人間にもともと備わっているメカニズムによるのです。
最近は時代に逆行しているような風潮もありますが、それでも過去100年近くにわたり、リベラルで平等な社会が正しいのだ、とされてきました。性別、人種、宗教、国籍などでその人を差別してはいけないというのは現代社会の絶対的なルールのはずです。たとえ、皮膚の色に偏見があったとしても、あるいはセクシャリティに違和感を覚えていたとしても、それを口にすることは許されず、「平等に」接しなければなりません。
しかし、理性ではそうであったとしても、人間の情動を司る「古い脳」はそのようには考えられません。科学誌「Psychological Science」に2010年に掲載された論文「他人の病気の症状を視覚的に認識するだけで、より積極的な免疫反応が促進される(Mere visual perception of other people's disease symptoms facilitates a more aggressive immune response )」によると、被験者に感染症の写真を見せると、炎症性サイトカインであるインターロイキン6の値が上昇することが分かりました。インターロイキンを含め血中サイトカイン濃度が上昇すると、人は不快な気分になります。つまり、この研究から言えることは、人は感染症患者を視覚的にとらえると、「自分が感染するから避けよう」という理性による判断とは無関係に、体内に炎症が起こるということです。
嗅覚もそのように反応するようです。科学誌「Chemical Senses」に2018年に掲載された論文「ヒト尿中の揮発性物質による炎症の検出(Detection of Inflammation via Volatile Cues in Human Urine )」によると、健康な被験者にリポ多糖という炎症を引き起こす物質を投与すると、尿の臭いに対する不快感が増加することが分かりました。通常、感染症に罹患した人の尿の臭いをかぐことはありませんが、太古の人間社会ではそのような場合もあったでしょう。あるいは自力でトイレに行けない人が入所している医療施設では医療者が患者の尿に接する場合があります。
これらの研究からいえることは、「人は感染症罹患者に近づくと自らにも炎症が生じて不快な気分になり、また、原因にかかわらず自身の体内に炎症が起こると不快な気分になるだけではなく他人から避けられる」ということになります。キーワードは「炎症」です。そして、炎症を生じる疾患の代表が感染症です。
これにはエビデンスがないのですが、例えばパートナーや家族がワクチンをうった日、なんとなくキスしたりハグしたりといった親密な行為を避けてしまうことはないでしょうか。常識的に考えれば「ワクチンをうった人は副作用が起こるかもしれないからそっとしておいてあげよう。そのために近づかない方がいいだろう」と判断している、ということになると思いますが、実は、ワクチンのせいで炎症が生じたことを本能が嗅ぎ取って、「この人には近づいてはいけない」と、遺伝子レベルで判断しているということはないでしょうか。
さらに話を進めると、感染症のみならず、がんや自己免疫性疾患、あるいは肥満、うつ病、認知症などでも炎症性物質(代表がC反応性蛋白=CRP)が上昇することがあります。そのような人がもしも「自分は避けられている」と感じているのだとすれば、それは周囲の人があなたの「炎症」を本能的に察知したからかもしれません。
ここまでくると私の妄想だと言われるでしょうが、「感染症罹患者が差別されるのはあってはならないことだけれども、人はもともと<炎症>を通してそのように行動するようプログラムされている」という考えは案外正しいのかもしれないという気がします。











