GINAと共に

第231回(2025年9月) 再び解禁されそうなタイの大麻と危険な薬物擁護論

 前々回、前回とタイでは大麻に関する規制が代わり、その原因は政局の揺れにあることを述べました。前回のコラム脱稿後に重大な動きがありましたから、今回もこの話題に触れざるをえません。しかし、偶然にも日本で大麻に関する大きな報道がありましたから、先にそちらをまとめておきましょう。

 2025年9月1日、サントリーのCEO新浪剛史氏が大麻疑惑で辞任しました。新浪氏が購入していたCBDにTHCが違法に含まれていたのではないかという疑惑がもたれていたとされています。捜査の結果、商品からも新浪氏の尿からも大麻は検出されなかったようですから、何も辞任しなくてもよさそうに思えますが、そこは報道されていないややこしい問題(人間関係や派閥など)があるのでしょう。それに新浪氏が不幸なのは、自身がほぼ全裸で外国人女性を抱き寄せている写真が週刊誌で公開されてしまったことです。この程度のスキャンダルで辞任に追い込まれるのは気の毒なような気もしますが、令和の現代では許されないのでしょう(「この程度」という言葉を使う私自身も現代社会では生き残れないかもしれません......)。

 新浪氏の辞任は世界中で報道されました。米紙や英紙でも大きく取り上げられており注目度が高いことがよく分かります。しかし、海外の報道が日本とは異なるのは「日本は大麻に厳しすぎるのでは?」というニュアンスが含まれていることです。たしかに、今や大麻は世界の多くの国や地域で合法(または事実上合法、または違法だけれど大勢が使用している)であり、大麻成分が体内から検出されたわけでもないので、なぜ辞任しなければならないのかが外国人からは理解しにくいのでしょう。

 もちろん日本でも「なんでその程度で辞任?」と感じるのは私だけではなく、特に若者は大勢がそのように感じているでしょう。大麻擁護論もこれまでになく大きくなってきているような気がします。

 その理由の1つに「参政党」の躍進があるのではないかと私はみています。参政党が「大麻解禁」を公約に掲げたわけでもありませんし、公式見解として大麻合法化を発表したわけでもありません。むしろ、合成麻薬のフェンタニルに対しては厳重取り締まりを求めるような表明もしています。しかし、代表の神谷宗幣氏は自身のブログに「大麻栽培を考える」というタイトルで大麻を擁護するようなコメントを載せています。文章をよく読むと、医療用大麻は検討されてもいいのでは?という程度のソフトな主張なのですが、このブログを都合よく解釈する人がいるようで、SNSを通して「大麻に賛成なら参政党を支持しよう」といったムーブメントがあるようです。

 もう1つ、大麻擁護論が台頭してきている理由として、私は『薬物戦争の終焉――自律した大人のための薬物論』という書物の存在を考えています。作者はコロンビア大学心理学部・精神医学部教授のカール・L・ハート氏。このタイトル、みすず書房の書籍ということもあって堅い感じがしますが、原タイトルは『Drug Use for Grown-ups; Chasing liberty in the Land of Fear』(大人のための薬物使用:恐怖の国で自由を求める)です。つまり、医学部教授がみすず書房から薬物摂取を推奨するような本を出版したのです。

 みすず書房の書籍ですから内容は平易ではないのですが、大学生くらいであれば特に薬理学の知識がなくても読めるレベルです。そして内容は、驚くことに、もろに薬物を擁護するような内容なのです。詳しくは是非読んでもらいたいのですが、「こんな本を書いてもいいのか」と思えるような内容です。まず、この作者、医学部教授でありながら、自らが大麻どころか麻薬や覚醒剤に手を出していることを堂々とカミングアウトしています。この事実に驚いた人もいるでしょう。

 しかし、私が最も驚いたのはそのことではありません。それを述べる前に冒頭で触れたタイの政局の続きについて述べておきましょう。前回のコラムを脱稿した2025年8月25日時点では、その4日後に言い渡される憲法裁判所の判決が出ていませんでした。

 8月29日、憲法裁判所はペートンタン首相の失脚を言い渡しました。その結果、連立与党の「前進党(Move Forward Party)」が政権を抜け、一足早く政権から離脱していた「タイ誇り党(Bhumjaithai Party)」と合流しました。

 そして、タイ誇り党の党首であるアヌティン・チャーンウィーラクーン(Anutin Charnvirakul)氏が9月7日に首相に就任しました。尚、繰り返し述べているように、タイではなぜか政治家も含めて「姓」ではなく「名」で呼ばれます。「アヌティン」「ペートンタン」「タクシン」いずれもファーストネームです。

 前々回も述べたように、もともとタイで2022年6月に大麻が合法化されたのは当時保健相を務めていたアヌティン氏が押し通したからです。つまり、現政権で最も大麻を推進している人物が今月より首相になったのです。2025年6月、アヌティン氏率いるタイ誇り党が連立政権から脱退するとすぐにペートンターン首相は大麻合法化の廃止に踏み切りました。ところが、それから2ヶ月も経たないうちに、自身が失脚させられ、アヌティン氏が首相に躍り出るという予想もしていなかった事態に見舞われてしまったわけです。

 さて、保健相を飛び越えて首相にまで上り詰めたアヌティン氏が大麻に対してどのような政策をとるでしょうか。大麻にはかなりの利権が絡みます。大麻を再び合法化すれば、アヌティン氏及びタイ誇り党に有利な運びとなるでしょう。しかし現在、一般市民の間でも大麻合法化に反対する声が大きくなっていると聞きます。大麻を再び合法化することで政権支持率が下がる可能性があるのなら慎重に事を運ぶかもしれません。

 さて、上述したように、現在『薬物戦争の終焉――自律した大人のための薬物論』という書籍が話題になっていて、薬物擁護者の間で人気を博していると言われています。しかしこの本、私自身は受け入れることができません。理由を述べます。

 まずタイトルが日本版はぼかしていますが、原書のタイトルは『Drug Use for Grown-ups』です。「Grown-ups」は単に「成人」でなく「自律した大人」という意味で使われています(単なる「成人」ならadultが適切な表現)。つまり、この書籍は「自律した成人なら薬物なんかに溺れないでしょ」と主張しているのです。

 著者は「自律した大人が正しく使えば依存症にならないばかりか、クオリティ・オブ・ライフ(人生の質)を向上させることができる。そして自分はそれをやっている。他方、依存症になるような人間は自律していないのだ」という、まるで自慢話ではないか、という理屈を展開します。もっとも、一応「自律できないのは貧困、失業、低教育など本人に責任がないことに問題がある」と言い訳のようなことは言っていますが、この理屈が正しいのなら「アルコールで身を滅ぼすのもすべて貧困、失業、低教育などが原因だ」としなければならなくなります。しかし、実際には高学歴高収入のアルコール依存症の患者なんていくらでもいます。アルコール依存の最大の原因はアルコールそのものにあるわけで、覚醒剤や麻薬などの依存症の原因も同様のはずです。

 この作者は「自分にはドラッグを使う資格はあるんだ。依存症になるのはそいつらが悪いからであって違法にしないでくれよ」と上から目線の暴論を吐いているようにしか私には思えません。

 もしも今後、この書籍を"武器"に薬物擁護論が台頭するようなことがあれば、依存症に陥った人を目の前にして「残念ながらあんたは自律できていなかったんだ。だけど、悪いのはあんたじゃないよ。貧困や低教育のせいなんだ。だから、高収入高学歴の僕らは気にすることなく薬物を楽しませてもらうよ」という理屈がまかり通ってしまいます。

 この本は危険だと私は思います。