GINAと共に

第202回(2023年4月) トランス女性を巡る複雑な事情~後編~

 日本ではコロナの第1波がようやく終息したばかりで先の不安が国全体に広がっていた2020年6月11日、BBCはトランスジェンダーの歴史に残るであろうある記事を掲載しました。

 「J・K・ローリング、トランスジェンダーのツイートへの批判に反応(JK Rowling responds to trans tweets criticism)」というタイトルのこの記事、非常に示唆に富んでいるために少し詳しく紹介しましょう。この記事が報道している出来事は、歴史に残る"事件"と呼んでもいいと私は思うのですが、なぜか日本のメディアはほとんど取り上げていません。当事者(と呼んでいいかどうかわかりませんが)日本のセクシャルマイノリティの人たちもこの話題にはあまり触れていないような気がします。J・K・ローリング(以下、単に「ローリング」)は言うまでもなく『ハリーポッター』の作者で、世界中の大勢の人々に影響を与える人物です。これほどの有名人による「物議を醸す発言」であるのにもかかわらず、なぜか日本ではあまり注目されていません。

 事の発端は、「devex」という「開発」に主眼をおいた米国のメディアです。このメディアに2020年5月28日「オピニオン: 月経のある人のためにより平等なコロナ後の世界を作る(Opinion: Creating a more equal post-COVID-19 world for people who menstruate)」という記事が掲載されました。内容は、「月経関連で苦労や不衛生を強いられている女性が世界にはたくさんいる。そういう人たちが安心して過ごせる世界をつくらねばならない」という内容のもので、取り立てて問題を起こすようなものではありません。

 ローリングが反応したのは「月経のある人(people who menstruate)」という表現に対してです。現在のポリティカル・コレクトネスを考慮した風潮では、「女性=月経がある」わけではありません。なぜなら、トランス男性は「月経があるけれど性自認は男性」ですし、トランス女性は「月経がないけれど女性」だからです。ローリングのTwitterの全文を紹介しましょう。

'People who menstruate.' I'm sure there used to be a word for those people. Someone help me out. Wumben? Wimpund? Woomud? (「月経のある人」? そういう人たちを指す単語が昔はあったんじゃなかったっけ? 誰か私が思い出すの助けて。たしか、Wumben? Wimpund? Woomud?)

 私の解釈が正しければ、ローリングは「月経のある人」などとまどろっこしい言い方をするメディアを皮肉っています。つまり、「初めから『女性(=woman)』と言えばいいものを、なんでそんな言い方をするのだ。最近はポリコレだらけでみんながwomanと言わないから、womanという言葉を忘れてしまったよ」と厭味を言っているわけです。

 このローリングのTweetに非難が殺到しました。「womanという言葉にはトランス女性も含めなければならないのは当然だ。にもかかわらず、ローリングは『月経のある人=woman』と言っている。ローリングは月経のないトランス女性を女性と認めない発言をした!」という批判が世界中で巻き起こったのです。

 最近では批判されるとすぐに謝罪文を出す者が多いなか、ローリングは今もこのTweetの文章を撤回していません。そして、自身への批判に対する反論をブログで公開しました。このブログには、自身がDVの被害で辛酸を舐めなければならない時期があったこと、自身のトランスジェンダーとの関わりなどが細かく述べられています。さらに、「トランスジェンダーの人たちは生物学的な性別を変えることができない」と表明して解雇された研究者を支持していることも述べました。

 ローリングはまた別のTweetもしています。ここで一部を紹介します。

I know and love trans people, but erasing the concept of sex removes the ability of many to meaningfully discuss their lives. It isn't hate to speak the truth.(私はトランスの人たち知っていて愛しています。けど、セックス(性別)の概念を取り払ってしまえば、大勢の人たちが自分の人生について有意義に話し合うことができなくなるのではないでしょうか。真実を話すことはヘイトスピーチではありません」

 しかしローリングがいかに反論しようが、「ローリングはトランスフォビア(トランスジェンダーを嫌う人)」という烙印がすでに押されてしまっています。さらに、ハリー・ポッターの出演者からも批判されています。

 「ハリー・ポッター」シリーズでHermione Granger役を演じたEmma Watsonは、上述のBBCの記事で「トランスジェンダーの人たちは、その人たちがそうだと言ったままの人たちであって、彼(女)らのアイデンティティーに対して疑問を持たれたり、違うと言われたりすることなく生きる権利がある」とローリングを批判するコメントを表明しています。

 また、「ハリー・ポッター」で主役を演じたDaniel Radcliffeは、BBCの別の記事で、「トランスジェンダーの女性は女性であり、これに反する発言はすべてトランスジェンダーの人たちのアイデンティティーや尊厳を奪うものだ」と述べ、ローリングの意見に反対を表明しています。

 BBCのこの記事のタイトルは「エディ・レッドメイン、J・K・ローリングのトランスジェンダーに関するツイートに反対(Eddie Redmayne speaks out against JK Rowling's trans tweets)」です。エディ・レッドメインはこのサイトでも過去に少し紹介した映画『リリーのすべて』の主演を演じた俳優で、『リリー......』は世界初の性別適合手術を受けたトランス女性の実話に基づいた映画です。

 そのエディ・レッドメインはローリングのTweetに対し、「トランスジェンダーのコミュニティを代弁するつもりはないが、自分にとって大切なトランスジェンダーの友人や仲間たちは、アイデンティティーを疑問視されることにくたびれている。そういう疑問はえてして暴力や虐待につながるんだ」と反論しています。尚、エディ・レッドメインの実際の性自認・性的指向について断言することはできませんが、英国の女優Hannah Bagshaweと結婚して二人の子供がいるそうです。

 ここからは私見を述べます。Emma Watson、Daniel Radcliffe、エディ・レッドメインの3名のコメントをよく読むと、いずれも話を短絡化しすぎていないでしょうか。つまり、「自分の性自認は自分で決めるべきものであって、他人からとやかく言われる筋合いはない」という単純な主張をしているだけです。

 これは「性自認の認識は個人の自由」という観点からみれば一見正しそうですが、しかしそれは「真実を話している」ことが条件となります。もしも、「自分の性自認は女性だ」と言っている「トランス女性に見える人」が、虚偽を述べており、本当は「単に女装癖があるだけで性自認は男性、性的指向は女性」であったとすれば誰が見抜けるでしょう。あるいは、実際に性自認が女性のトランス女性であっても、性的指向が女性(つまりレズビアンのトランス女性)であったとき、世間はこのトランス女性が女子トイレを使うことを手放しで歓迎するでしょうか。

 TERF(ターフ)と呼ばれるフェミニストの人たちがいます。「Transgender Exclusionary Radical Feminist」の略で、和訳すると「トランスジェンダーを排他する急進的なフェミニスト」となるでしょうか。要するに、「生物学的な男性として生まれた人は男性であり、性別適合術を受けようがトランス女性は<女性>ではない」と考える人たちのことです。

 TERFに対し、TRAと呼ばれるグループもあります。こちらは「Transgender Rights Activist」の略で、TERFを批判しトランスジェンダーの人たちを擁護するグループです。

 前回述べたように、私自身は2004年にタイの施設でトランス女性の人たちと仲良くなってから、彼女らの性自認が女性であることを疑わず、常に彼女たちの味方でいるつもりでいました。ですが、「女装癖のあるストレートの男性」「レズビアンで暴力的なトランス女性」の話を聞くにつれ、TERFに同意することはないにせよ、無条件で「トランス女性(と主張する女性)は女性」という考えに疑問を持つようになってきました。

 トランス女性(と主張する女性)が女子トイレを使ってもいいか、という問いに答えるのは簡単ではありません。