GINAと共に

第182回(2021年8月) 「利己的な利他」は「利他」ではないのか

 私がタイのエイズ問題に始めて関わったのは2002年の10月、研修医1年目の頃、当時お世話になっていた教授のご厚意で1週間の夏休みを認めてもらい、パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)に赴いたときでした。

 このときに滞在したのはわずか1週間足らずでしたが、受けた衝撃はとてつもなく大きく、実際、それからすでに19年の年月が経ちましたが、今もこれまでの人生で最も大きな出来事のひとつだと言えます。

 なにしろ、どこの医療機関でも診てもらえずにその施設にやっとのことでたどり着いた、という患者さんがほぼ全員なのです。なかには、施設の入り口に捨てられていた乳児や、はるか遠い県からその施設の噂を聞いてかなりの長距離を歩いてやって来たという人もいました。そして、2002年のその当時、タイではまだ抗HIV薬がなかったのです。つまり、その施設に入っても元気で施設を出られる見込みはゼロで、「死へのモラトリウム」を過ごすだけだったわけです。

 エイズは全身に症状が出る疾患です。息苦しくなり、下痢がとまらず、様々な皮疹に悩まされ、そのうち食事が摂れなくなり、やがて亡くなっていきます。毎日何名もの人が他界されていました。

 その時の経験を通して、私は「この病に生涯関わっていきたい」と考えるようになったのですが、2021年の現在、タイでも日本でもHIV感染はすでに「死に至る病」ではなくなっています。むしろ、薬を飲んでさえいれば、寿命を全うできる疾患になりました。よく指摘されるように、他の慢性疾患、例えば高血圧や高脂血症とあまり変わらなくなってきていると言えなくもないわけです。

 社会的な差別は今も残っていますが、タイでは以前のように、食堂に入ろうとするとフォークを投げつけられるとか、バスに乗ろうとすると引きずり落とされるとか、家族から追い出されるとか、そういったことはもはやありません。それどころか、地方によっては、職場で堂々とカムアウトして仕事をしている人も少なくありません。

 日本では、差別についてはタイよりもひどい状況となっていますが、それでも公的扶助が充実していますから、治療を受けられないということはあり得ませんし、感染を黙っていれば社会的差別を受けることはそう多くはなく、医療機関での差別も以前に比べると大きく減少しています。

 他方、世の中には治療法のない疾患がたくさんあります。貧しい国に生まれたが故に治療を受けられないという人も大勢います。政治が不安定なために命を脅かされる国や、政府が暴力によって統治しようとしている国もあります。クーデターで大統領が失脚させられた国もありますし、いわゆる難民と呼ばれる人たちは世界的に増加しています。

 GINAは、そして私は、2002年以降今もタイのHIV陽性者を支援しているわけですが、これを「公正な」支援と呼んでいいのでしょうか。そして、これは「利他」と呼べるものなのでしょうか。

 タイのエイズ問題に関わり始め、お金を集めて寄付をして、時間の許す限りタイに渡航しボランティアをしていた私は、当初から「これは利他なのか」というテーマについて考えてきました。「エイズ患者さんからの感謝の言葉がない」と不満を口にする日本人のボランティアをみて幻滅したことがあります。「タイでボランティアをしたい」と連絡のあった若い大学生とメールのやりとりをしているうちに、「この女性(男性)は心から患者さんを助けたいと思っているのではなく自己満足じゃないか」と感じたことも、あるいは「単なる自分探しのためにエイズ問題に関わるのをやめてほしい」と思ったこともあります。

 では、私が否定的に感じた若者と私自身には明確な違いがあるのでしょうか。私には彼(女)らを批判する資格があるのでしょうか。私がやっていることもひとりよがりの自己満足ではないでしょうか。あるいは、利他と呼んでもいいものなのでしょうか。

 2005年に『TIME』の「世界の最も影響力のある100人」の一人に選ばれたオーストラリア出身の哲学者ピーター・シンガーは、「効果的な利他主義」という概念を提唱しています。シンガーは「幸福の数値化」をおこない、利他主義は最も効果的に実践しなければならないと言います。寄付をするなら、どの団体に寄付すれば最も多くの善になるのかを数値で評価しなければならない、と言うのです。

 例えば、米国で一頭の盲導犬を養成するのに4万ドルが必要となる一方で、その金額で発展途上国のトラコーマ(目の病気)を患っている子供400~2,000人の治療ができることが分かっている場合、シンガーによれば、発展途上国に寄付する方がより多くのいいことができるために「より価値がある」となるそうです。

 話をタイに戻します。私がタイのエイズ問題に関わり始めた2002年からすでに19年が経過しました。時代は大きく変わり、HIVに感染しても長生きできる時代になりました。とはいえ、HIV感染が原因で、寝たきりになったり、身寄りがなかったりといった事情で人間らしい生活ができていない人も大勢います。そして、そういった人たちを支援している人たちもいます。GINAと私はそういった人たちを金銭的に支援しているわけですが、世界に目を向けてそのお金を別のところに使えば、もっと大勢の人たちを助けることができます。

 特に「命を救う」という意味においては、タイのHIV陽性者よりも、隣国のミャンマーで政府軍に抑圧されている人たち、そのミャンマーから追い出されてバングラデシュのコックスバザールの難民キャンプで生活しているロヒンギャの人たち、あるいはそのキャンプから2,500km西に位置するアフガニスタンでタリバンに怯えて暮らしている人たちを支援する方が(ピーター・シンガー的に)効率が高いのは間違いありません。

 ピーター・シンガーの基本的な立場は「功利主義」です。功利主義の観点に立てば、いかに効率よく人命を救えるか、となるでしょうから、私がやっているようなことは2000年代前半のタイでは意味があったとしても、今おこなっている支援活動は非常に非効率であり、功利主義の精神に反する、ということになるでしょう。

 ではGINAと私は立場を変えて、タイでの支援を終了させ、ミャンマーやロヒンギャの難民キャンプやアフガニスタンに矛先を変えるべきなのでしょうか。あるいはアフリカのエイズ孤児のための支援を開始すべきなのでしょうか。

 実は過去に似たようなことを考えたこともあります。一時、国軍のクーデターが起こる随分前のミャンマーで、北部の少数民族が迫害されているという話を聞き、そちらにより多くの支援をすべきではないかと思案したことがあるのです。また、ラオスやカンボジアのエイズ事情がタイよりも悪化しているという話を聞いて、支援する施設を全面的に変えようと思ったこともあります。

 ですが、新しいことをするための時間が確保できないということもありますが、「この人たちの力になりたい」と2002年のタイで感じた気持ちがそういった考えを妨げます。私には、たとえ効率が悪かったとしても、また、たとえ不公平であったとしても、依然タイで日常生活もままならない人たちや、そういう患者さんを支援している人たちを知っている限りは別のところに行けないのです。

 私の考えが矛盾していることも分かっています。日本の困っている人たちを放っておけないと考えて、日本で働く道を選んだわけですが、その日本人全員に支援ができているわけではありませんし、結局、日本でもタイでも、自分の近くにいる人や知り合った人に対して少しばかりのお手伝いをしているに過ぎません。これを利他と呼ぶのはおこがましいですし、もしも呼んでいいのだとしても、その利他は極めて「利己的な利他」であることを承知しています。

 ピーター・シンガー的な視点で言えば、私がやっていることは単なるままごと程度に過ぎないのかもしれません。ですが、私にはこれからもそのやり方を変えることはできません。

 他人よりも家族が大切なのと同じ意味で、まったく知らない人よりも、これまで知り合った人たちとの縁を大切にし、支援を広げることが可能ならその縁を起点に考えていくつもりです。