GINAと共に

第165回(2020年3月) 新型コロナ騒動で分かったタイ人の変化

 新型コロナウイルス(以下「COVID-19」)の世界的流行を受けて、タイ政府は2020年3月26日、感染の蔓延を防ぐため、タイ全土に非常事態を宣言しました。外国人(もちろん日本人を含む)の入国を原則禁止し、高齢者らの自宅待機や県境を越える移動の自粛などが求められることになるそうです。

 非常事態宣言が出されるだろうという話はすでに3月中旬から盛んに噂されるようになっていました。また、タイ航空を始めとするタイの航空会社は比較的早い段階で「健康であることを示す証明書」を求めるようになっていました。当初は「新型コロナウイルスに感染していないことを証明するもの」が必要と言われていたのですが、日本では今もごく限られた人にしか検査(PCR)を受けることが許されていないためこれは不可能です。

 一部、中国などで使われている簡易キットを取り入れている医療機関があるようですが、この検査は精度が高いとは言えず、検査で陰性であっても感染していないとは言えません。そこで結局、陰性という検査結果がなくても医師が健康であることを証明すればいいということになりました。これをタイ(領事館及び航空会社)は「fit to fly health certificate」と呼んでいます。

 その証明書を求めて3月中旬から、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)に大勢のタイ人が来院しています。谷口医院では、オープンした2007年からタイ人の患者さんがコンスタントに受診していますが、これだけ大勢のタイ人が短期間にやってきたのは開院以来初めてです。多い日は1日10人以上のタイ人が来ています。

 ここ数年間は繁華街でタイ語を耳にする機会が増えていましたから、観光で訪れるタイ人が増えているなという実感はあったのですが、日本で1日に10人以上のタイ人と会話することなどこれまでありませんでした。そして、あらためてタイという国が、そしてタイ人が変わったなと思わずにはいられません。

 2006年のある日、タイのある大学の公衆衛生学の助教授からメールが入りました。「翌年(2007年)に京都で開催される国際学会で発表することが決まったのだけれどビザがおりない。そこで保証人になってもらえないか」という内容でした。偶然にも私自身もその国際学会で発表する予定があったこともあり、二つ返事で引き受けました。そして、何枚もの複雑な書類を作成することになりました。私が医師であることを証明する書類や、私自身の経歴の詳細を記載した書類の提出も求められました。率直に言うと、二度とやりたくない面倒くさい手続きでした。

 なぜここまでやらないといけなかったのか。おそらく「素行のよくない」タイ人を入国させることを日本が嫌っていたからでしょう。しかし、この助教授はタイの由緒ある大学で教鞭をとっており、来日の目的は国際学会での発表なのです。

 さらに驚いたのは、助教授が宿泊したホテルです。京都の路地裏にある一応ビジネスホテルとは呼べますが、狭くて決して清潔とは言えないようなおそらく一泊3千円くらいのホテルなのです。谷口医院を開院する前の2005年から2006年頃、私は繰り返しタイに渡航しエイズ施設を訪れ、また一般のタイ人からも取材をしていました。当時よくタイ人から「普通のタイ人は一生の間、日本のような国に行けることはない」と聞いていました。

 ところがそれからおよそ15年がたった2020年、タイ人はまるで週末に近場に旅行に行くような感覚で日本に来ています。この1~2週間で谷口医院にやってきた数十人のタイ人を私なりに3つのグループに分類すると次のようになります。

#1 日本の大学、大学院、専門学校で学んで卒業したタイ人。または日本の企業で数年間働いていたタイ人。

 彼(女)らのなかには驚くほど日本語ができる人もいます。しかも、多くのタイ人が苦手な「shi」や「tsu」の発音をスムーズにできる人も少なくありません。日本人の日本語と区別がつかないような人すらいます。さらに驚かされるのが、日本人と変わらないレベルで日本語のメールを送ってくるタイ人もいたことです。漢字はもちろん助詞も正確に使っているのです。

 日本語があまりできないという人もなかにはいますが、そういう人たちは例外なく英語ができます。その英語はきちんとした英語で、「セイム・セイム」(タイに詳しい人なら分かってもらえると思います)のようなタイ人独特の英語ではありません。彼(女)らをみていると、タイは日本よりもはるかにグローバル化が進んだ先進国のようにすら思えます。

#2 いわゆる「就労生」

 東南アジアからの「就労生」といえば、(関西では)ここ数年はベトナムからやってくる若者が圧倒的に多く、私自身はタイ人の就労生が存在することすら知りませんでした。谷口医院を受診したタイ人で言えば、全員が男性で英語ができたタイ人はひとりもいません。日本語のレベルは様々で、ある程度の日常会話ができる人がいる一方で、ほとんど話せない人もいました。日本語も英語もできずによくやってこれたなと思いますが、ベトナムからの就労生もこういう若者が少なくありません。ちなみに、日本語も英語もできない若いタイ人に「タムガーン・アライ(仕事は何?)」と聞くと「ゲンバ・チ(シ)ゴト」という言葉が返って来てこれが彼の話した唯一の日本語でした。

 この若い男性、始終ニコニコして人なつっこい印象(つまり典型的なタイ人の印象)があり、たまたまそのときは少し時間に余裕があったこともあり「ペン・コン・ジャンワット・アライ(出身県はどこですか?」と尋ねると「サコンナコーン(県)」という答えが返ってきたので、「イヌを食べたことある?」と聞くと、大爆笑していました。イサーン地方にある同県は犬を食べることで有名だからです。ただし私はこれまで同県出身者に何度か尋ねたことがありますが「食べたことがある」という人にお目にかかったことがありません。「私のおじさんが食べていた」という話ならあります。ちなみに、「犬を食べたことがあるか」というこの質問、女性にはすべきではありません。私は一度タイである女性に冗談で言ったところ気分を害されてしまいました......。

#3 短期の旅行客

 カップルでの旅行、友達との旅行、家族旅行といろんなパターンがありました。彼(女)らは日本語はほとんどできず、英語もいわゆるタイ人の英語、つまり、時制なし、冠詞なし、発音はタイ語のイントネーションの英語です。ホテルや訪問先を事細かく尋ねるようなことはできませんが、高級ホテルに宿泊している若者が多いことに驚かされました。

 上記#1、#2、#3のいずれのパターンも、時間があれば出身県とニックネーム(チュー・レン)を聞いてみました。このようなことを聞かれるとは彼(女)らは思っていないので、とても驚かれますがその後のコミュニケーションがスムーズになります。これは医師患者関係でなくとも、タイ人と仲良くなる時の基本だと私は思っています。

 今月診察した数十人を振り返ると、出身は南部、中央部、北部、イサーン地方のいずれの地域もありました(南部は少なかった)。出身地で見る目を変えてはいけないのはポリティカル・コレクトネスとしては正しいわけですが、(以前の)タイをある程度知った者からすれば、イサーン地方出身の若者が短期旅行で日本を訪れ、しかも高級ホテルに泊まっているという事実は俄かには信じがたいことです。

 15年近く前のこととはいえ、先述した大学の助教授のビザ申請のために私の医師免許が必要だったことが嘘のようです。日本とタイの「差」などもはやほとんどないのかもしれません。

 GINAが支援しているタイのいくつかのエイズ施設の現状はそう大きく変わっていないように思えるのですが、将来的には支援の矛先を変更すべきかもしれない......。短期間に数十人のタイ人と話してそのように感じました。