GINAと共に
第130回(2017年4月) LGBTを理解するのにお勧めの方法
2017年2月に授賞式がおこなわれた第89回アカデミー賞で作品賞を受賞した『ムーンライト』は、前評判が高すぎたことも原因なのか、日本ではいまひとつ評価が高くないようです。残念なことに、なかには「ゲイの映画と知ってたら見なかった」という声もあるとか...。
ですが、一方では絶賛する声も少なくなく、「もう一度観たくなる」という意見も多く私自身もそう思います。背景、音楽、話の展開のテンポなど、どこをとっても申し分なく、純粋なラブストーリーに、イジメ、売春、ドラッグなどの社会問題が関わった、観る者の心の奥深くに訴えかけてくるような映画です。どちらかというとハリウッド系というよりはフランス映画に近い感じがします。
同性愛(LGBT)、人種問題、買売春、薬物問題などを扱った映画は「社会派の映画」になることが多く、例えば、罪のない黒人が駅構内で白人警官に射殺された実際の事件を描いた『フルートベール駅で』はまさに人種差別を告発する映画です。このサイトで私が過去に絶賛した『チョコレートドーナツ』はハンカチなしでは観られない映画ですが、ゲイのカップルに親権が認められない点がストーリーの鍵となっています。世界初の性転換手術を受けた男性が主人公の『リリーのすべて』は、リリーを支える元恋人の女性の感情や行動がとても繊細に描かれていて私はそこに感動しましたが、やはり社会派映画という側面があります。買売春や薬物が出てくる映画は山のようにありますが、それらが大きくクローズアップされればされるほど社会派のニュアンスが強くなります。
一方、『ムーンライト』にはそのような要素はほとんどなく、LGBT、黒人差別、薬物や買売春を社会的な観点から描いているわけではありません。アカデミー賞受賞は、白人至上主義のトランプ大統領へのアンチテーゼだ、という声もあるようですが、私にはまったくそのように思えません。
『ムーンライト』はフィクションですが、原作者のタレル・アルヴィン・マクレイニー自身の体験がベースになっているようです。マクレイニーの母親はエイズで死亡しており、違法薬物、さらに売春の経験もあったのでは、との噂があります。
ストーリーを紹介すると「ネタバレ」になってしまいますから、ここでは私が感動を覚えた点についてだけ述べておきます。
『ムーンライト』は三部構成になっており、主人公のゲイの少年期(小学生時代)、ティーンエイジャーの時期(高校生時代)、成人期と分かれています。人によって見方が変わるとは思いますが、私が最も印象的だったのはティーンエイジャーの時期です。
主人公シャロンには友達がほとんどおらず唯一仲良く話してくれるのは同級生のケヴィンだけです。ある日シャロンが家に帰ると、男を連れ込んでいる母親から「出ていけ」と言われます。ドラッグジャンキーの母親はドラッグ買う金欲しさに身体を売っていたのです。母親に追い出されたシャロンは以前お世話になったことのある女性の元を訪ねます。そして家に帰ると母親から金をせびられます。唯一の身内である実の母親から家を追い出されるシーン、その母親から小遣いを巻き上げられるシーン、行き場がなくひとりで電車に乗っているシーン、細い身体と腕でバックパックを背負って弱々しく歩いているシーン、そして悪い同級生の策略からケヴィンに殴られるはめになったものの決して倒れようとしないシーン・・・、いずれも私の頭から当分の間離れないでしょう。
シャロンのケヴィンに対する感情は「愛」となり、それは一途なものです。しかし、ケヴィンはハイスクール時代にはガールフレンドもいましたし、成人してからは結婚していたことを知らされます。そしてその後の展開は...。
もうひとつ、同性愛を描いた映画を紹介しておきたいと思います。『キャロル』というレズビアンが主人公の映画で、日本では2016年に公開されました。主人公キャロルを演じたケイト・ブランシェットの演技力が見事なのですが、この映画もストーリーが胸をうちます。『太陽がいっぱい』の原作者トリシア・ハイスミスが別名義で1952年に発表した自伝的小説が元になっていると言われています。50年代には自らのセクシャル・アイデンティティを公表することができなかったのでしょう。
『ムーンライト』、『キャロル』に共通すること。一言で言えば「純粋な愛」となるかもしれません。そしてそこには「LGBTの権利を!」といった社会的な要素が一切ありません。行き過ぎたリベラル派が振りかざすポリティカルコレクトネスなどとはまったく縁がないものです。つまり、男性が男性を愛そうが、女性が女性に夢中になろうが、それは男女間のものと何ら変わりはないのです。
『キャロル』を観た時も、『ムーンライト』を観終わったときにも、私は旧友のあるゲイの言葉を思い出しました。彼は私にこのようなことをよく言っていました。
「ノンケの男の人が女性に恋するとき、女性を性の対象として"選択"したんですか? 自然に好きになった人が女性だったんじゃないんですか。僕も同じです。自然に好きになった人が男性だったんであり、考えて"選択"したわけじゃないんです」
私は彼からこの言葉を聞いたとき、それまでに恋に落ちた女性たちを思い出してみました。当たり前ですが私は"選択"していません。きっかけは様々ですし、出会った瞬間から恋に落ちたケースばかりではありませんが、ひとつ確実に言えることは、私は彼女たちの性を"選択"したわけではないということです。そこには社会的な意味も、もちろんポリティカルコレクトネスもありません。
LGBTが理解できないという人や、『ムーンライト』を「ゲイの映画と知ってたら見なかった」という人は、自分の恋愛を思い出してみるのがいいでしょう。果たしてあなたは好きになった相手の性を"選択"したのでしょうか。
過去にも述べたようにここ数年でLGBTという言葉がすっかり定着し、LGBTの権利が主張されるようになり、マスコミでも特集を組まれることが増えてきています。一部の企業は「LGBTが働きやすい」ことをPRしています。
ですが、実際に「うちの職場は働きやすい」と感じているLGBTの人たちはどれだけいるでしょう。私の知人のあるゲイは、「LGBTに優しい」ことを訴えているある大企業に勤めていますが、「カムアウトなんてとてもできる雰囲気じゃないし、実際にカムアウトした社員の話なんて聞いたことがない」と言います。
LGBTを理解するのに最も簡単な方法。それは実際にLGBTの人たちと仲良くなることです。特に女性の場合、ゲイの友達は男友達や女友達にも話せないことをよく理解してくれることがあるようで、私のある知人の女性は、「恋愛のことで悩んだときはまずゲイの友達に相談する」と言っていました。
次に簡単な方法は、先述した私の知人のゲイの言葉にあるように、自分の恋愛は"選択"したものかどうか考えてみることです。自然に恋するのに男性も女性もないということが分かるでしょう。
そしてもうひとつ推薦したいのは現在公開中の『ムーンライト』を観に行くことです。
ですが、一方では絶賛する声も少なくなく、「もう一度観たくなる」という意見も多く私自身もそう思います。背景、音楽、話の展開のテンポなど、どこをとっても申し分なく、純粋なラブストーリーに、イジメ、売春、ドラッグなどの社会問題が関わった、観る者の心の奥深くに訴えかけてくるような映画です。どちらかというとハリウッド系というよりはフランス映画に近い感じがします。
同性愛(LGBT)、人種問題、買売春、薬物問題などを扱った映画は「社会派の映画」になることが多く、例えば、罪のない黒人が駅構内で白人警官に射殺された実際の事件を描いた『フルートベール駅で』はまさに人種差別を告発する映画です。このサイトで私が過去に絶賛した『チョコレートドーナツ』はハンカチなしでは観られない映画ですが、ゲイのカップルに親権が認められない点がストーリーの鍵となっています。世界初の性転換手術を受けた男性が主人公の『リリーのすべて』は、リリーを支える元恋人の女性の感情や行動がとても繊細に描かれていて私はそこに感動しましたが、やはり社会派映画という側面があります。買売春や薬物が出てくる映画は山のようにありますが、それらが大きくクローズアップされればされるほど社会派のニュアンスが強くなります。
一方、『ムーンライト』にはそのような要素はほとんどなく、LGBT、黒人差別、薬物や買売春を社会的な観点から描いているわけではありません。アカデミー賞受賞は、白人至上主義のトランプ大統領へのアンチテーゼだ、という声もあるようですが、私にはまったくそのように思えません。
『ムーンライト』はフィクションですが、原作者のタレル・アルヴィン・マクレイニー自身の体験がベースになっているようです。マクレイニーの母親はエイズで死亡しており、違法薬物、さらに売春の経験もあったのでは、との噂があります。
ストーリーを紹介すると「ネタバレ」になってしまいますから、ここでは私が感動を覚えた点についてだけ述べておきます。
『ムーンライト』は三部構成になっており、主人公のゲイの少年期(小学生時代)、ティーンエイジャーの時期(高校生時代)、成人期と分かれています。人によって見方が変わるとは思いますが、私が最も印象的だったのはティーンエイジャーの時期です。
主人公シャロンには友達がほとんどおらず唯一仲良く話してくれるのは同級生のケヴィンだけです。ある日シャロンが家に帰ると、男を連れ込んでいる母親から「出ていけ」と言われます。ドラッグジャンキーの母親はドラッグ買う金欲しさに身体を売っていたのです。母親に追い出されたシャロンは以前お世話になったことのある女性の元を訪ねます。そして家に帰ると母親から金をせびられます。唯一の身内である実の母親から家を追い出されるシーン、その母親から小遣いを巻き上げられるシーン、行き場がなくひとりで電車に乗っているシーン、細い身体と腕でバックパックを背負って弱々しく歩いているシーン、そして悪い同級生の策略からケヴィンに殴られるはめになったものの決して倒れようとしないシーン・・・、いずれも私の頭から当分の間離れないでしょう。
シャロンのケヴィンに対する感情は「愛」となり、それは一途なものです。しかし、ケヴィンはハイスクール時代にはガールフレンドもいましたし、成人してからは結婚していたことを知らされます。そしてその後の展開は...。
もうひとつ、同性愛を描いた映画を紹介しておきたいと思います。『キャロル』というレズビアンが主人公の映画で、日本では2016年に公開されました。主人公キャロルを演じたケイト・ブランシェットの演技力が見事なのですが、この映画もストーリーが胸をうちます。『太陽がいっぱい』の原作者トリシア・ハイスミスが別名義で1952年に発表した自伝的小説が元になっていると言われています。50年代には自らのセクシャル・アイデンティティを公表することができなかったのでしょう。
『ムーンライト』、『キャロル』に共通すること。一言で言えば「純粋な愛」となるかもしれません。そしてそこには「LGBTの権利を!」といった社会的な要素が一切ありません。行き過ぎたリベラル派が振りかざすポリティカルコレクトネスなどとはまったく縁がないものです。つまり、男性が男性を愛そうが、女性が女性に夢中になろうが、それは男女間のものと何ら変わりはないのです。
『キャロル』を観た時も、『ムーンライト』を観終わったときにも、私は旧友のあるゲイの言葉を思い出しました。彼は私にこのようなことをよく言っていました。
「ノンケの男の人が女性に恋するとき、女性を性の対象として"選択"したんですか? 自然に好きになった人が女性だったんじゃないんですか。僕も同じです。自然に好きになった人が男性だったんであり、考えて"選択"したわけじゃないんです」
私は彼からこの言葉を聞いたとき、それまでに恋に落ちた女性たちを思い出してみました。当たり前ですが私は"選択"していません。きっかけは様々ですし、出会った瞬間から恋に落ちたケースばかりではありませんが、ひとつ確実に言えることは、私は彼女たちの性を"選択"したわけではないということです。そこには社会的な意味も、もちろんポリティカルコレクトネスもありません。
LGBTが理解できないという人や、『ムーンライト』を「ゲイの映画と知ってたら見なかった」という人は、自分の恋愛を思い出してみるのがいいでしょう。果たしてあなたは好きになった相手の性を"選択"したのでしょうか。
過去にも述べたようにここ数年でLGBTという言葉がすっかり定着し、LGBTの権利が主張されるようになり、マスコミでも特集を組まれることが増えてきています。一部の企業は「LGBTが働きやすい」ことをPRしています。
ですが、実際に「うちの職場は働きやすい」と感じているLGBTの人たちはどれだけいるでしょう。私の知人のあるゲイは、「LGBTに優しい」ことを訴えているある大企業に勤めていますが、「カムアウトなんてとてもできる雰囲気じゃないし、実際にカムアウトした社員の話なんて聞いたことがない」と言います。
LGBTを理解するのに最も簡単な方法。それは実際にLGBTの人たちと仲良くなることです。特に女性の場合、ゲイの友達は男友達や女友達にも話せないことをよく理解してくれることがあるようで、私のある知人の女性は、「恋愛のことで悩んだときはまずゲイの友達に相談する」と言っていました。
次に簡単な方法は、先述した私の知人のゲイの言葉にあるように、自分の恋愛は"選択"したものかどうか考えてみることです。自然に恋するのに男性も女性もないということが分かるでしょう。
そしてもうひとつ推薦したいのは現在公開中の『ムーンライト』を観に行くことです。