GINAと共に

第127回(2017年1月) こんなにもはかない命・・・

 医師である限り患者さんの死に遭遇することは避けられません。現在の私の勤務はほぼ太融寺町谷口医院だけで、大きな病院で働くことはなくなりましたから、患者さんが他界する瞬間に立ち会うことはなくなりました。しかし、難病で大きな病院に紹介した患者さんが、死を避けられない運命にあり、亡くなられたという報告が届くことはしばしばあります。

 救急病院に勤務していた頃は、交通事故や自殺、ときには他殺などで搬送されてくる若い患者さんの命を助けられなかったこともあり、そのときにはしばらく気分が沈んだままになります。救急搬送されてその数日以内に亡くなられるということは珍しくはないのですが、患者さんが若い場合には、なんとかできなかったのか・・・、という気持ちが拭えないのです。「命は平等」であるのは事実だとしても、私自身の心情としては、若い人の命は何としても救いたい...、というのが正直な気持ちです。

 最近、ひとりの10代半ばの女子が他界した、という話を聞きました。私は一度しか会ったことがありませんが、愛くるしい瞳をした笑顔が素敵な女の子です。名前はマリ(仮名)。タイ語でマリはジャスミンのこと。そう、この女の子は10代半ばのタイ人です(注1)。

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 マリが生まれたのはタイ東北部の貧しい家庭。タイは貧富の差が激しく、マリの生まれた家庭が貧しいことは特筆するようなものではないが、マリには少し複雑な事情があった。父親はすでに他界し、母親はHIV陽性。マリはこの世に生を受けたときからHIV陽性。つまり「エイズ孤児」なのだ。

 マリの母親はHIV感染が発覚するのが遅れ、判ったときにはすでにエイズを発症していた。当時は医療者の間でも差別意識が強く、病院で診てもらうことができず、タイ中部のロッブリー県にある世界最大のエイズホスピス、パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)にやって来た。入所時からすでに免疫能が相当低下しており、あてがわれた部屋は最も重症の患者が入る病棟。ひとりで歩くこともままならずほぼ一日中寝たきりの状態であった。

 マリには身寄りがない。いや、本当はないことはなく親戚はいるのだが、母親がエイズを発症し、本人もHIV陽性である子供の面倒をみようという者がいないのだ。タイでは以前に比べるとエイズに対する差別・偏見が随分と減ったと言われるが、それはタイ全域では決してない。マリが生まれた地域では根強い偏見が残っている。しかし、マリの親戚だけを責めれば解決する問題でもない。理解ある親戚がマリを引き取ったとしても、地域社会ですでにエイズ孤児であることが知られている現状を考えると学校でイヤな思いをすることはあきらかなのだ。

 行く当てのないマリは、パバナプ寺に住ませてもらうことになった。この寺には世界中からボランティアが集まってきている。寺の近くの小学校に通い、将来きちんとした仕事ができるようにとボランティアが勉強の面倒をみることもあった。中学にも進級したが、学校ではエイズ孤児であることを隠し通した。

 学校が終わりパバナプ寺に帰ってくると、マリは真っ先に母親のベッドに駆け寄った。そこは重症病棟だから、結核やカリニ肺炎を発症している患者も多かったのだが、幸いなことにマリは幼少児から抗HIV薬を続けていたおかげで免疫能は正常だ。重症病棟にいても、感染者に近づかなければ感染の心配はさほど強くない。

 マリはエイズ孤児の割には身体も大きくなり、日ごろ手洗いやマスクを徹底しているからか、ほとんど風邪もひかずに育っていった。身長は150cmに満たないくらいだが、タイではこれくらいの身長は普通である。いつも背筋を伸ばし愛くるしい笑顔できびきびと動くマリは、どこからみても健康優良児のようだ。

 中学を卒業する少し前、マリの母親が他界した。死因はエイズであるのは間違いないが、詳しい原因は不明だ。タイでは抗HIV薬が無料で手に入るのだが、使えるレパートリーは少ない。それらが効かなかったり、副作用が強くて飲めなくなったりすれば、もはやなす術がない。マリの母親は治療開始が遅かったということもあり、薬があまり効かなかったのだ。次第にやせ細り、食事がまったく取れなくなり、水分摂取も困難となった。

 マリの母が静かに息を引き取ったのは涼しげな冬の日の朝だった。小鳥のさえずりが最後まで生き抜いた姿を讃えているかのようであった。死に顔に悲壮感はなかったと寺のスタッフは言う。その理由はおそらくマリだろう。エイズ孤児として生まれながらも丈夫に育ち、来月からは地元のレストランでの就職が決まっているのだ。気丈なマリは母親の遺体の前でも涙を見せなかった。母の分まで生きてみせる、黒い瞳がそう物語っているようであった。

 パバナプ寺から車で30分の距離にあるタイ料理レストランがマリの勤務先だった。この近くにアパートを借りてフルタイムの勤務が始まった。働き者のマリは、仕事が早いだけでなく、持って生まれた愛嬌もあり、すぐにレストランの人気者になった。マリと写真を撮りたいという理由でレストランを訪れる者も多く、また小さい頃から欧米のボランティアと仲良くしていただけに英語が話せたことから外国人の客にも人気があった。抗HIV薬を毎日飲み続けなければならないことはこれからもかわらないが、もはや周囲にはマリがHIV陽性であることを知っている者はほとんどいなかった。

 2016年の雨季も終わりに近づいたある朝、目覚めると、身体が重たく熱があることに気づいた。たまたまこの日は仕事が休みで抗HIV薬を受け取りに病院に行く日だった。重たい身体を引きずって医師に症状を話すとレントゲンが必要だと言う。レントゲンを読影した医師の言葉は「直ちに入院が必要」。マリの母親の頃とはもはや時代が違う。世間の偏見は残っていても病院ではHIV陽性者もきちんと診てくれる。入院を拒否されるなんてことはない。医師の診断は結核だった。結核には治療薬があるという。しばらくの間仕事は休まねばならないがいずれ復帰できるであろう。入院してからもしばらくは笑顔が絶えなかった。マリはタイ人、タイは微笑みの国なのだ。

 2か月後、マリは短い生涯を閉じることになった。結核の薬が効かず、さらにそれまでは奏功していた抗HIV薬も次第に効果が出なくなっていたようだ。代わりの薬がなければもはや打つ手がない。

 マリが旅立った涼しげな冬の朝、小鳥のさえずりが止まなかったという...。


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 多剤耐性の結核は現在世界的な課題となっています。従来の薬が効かずに、治療に難渋するのです。マリの結核がどのようなものであったのかは分かりませんが、タイの結核治療が日本よりも選択肢が少ないのは事実です(注2)。日本でなら救えた、という保証はどこにもありませんが、もしも日本に呼べたなら・・・、という思いが拭えません。

 私がマリに会ったのは2016年の夏、ロッブリーのレストランでした。来年もここで会おうねと約束した私は日本からのお土産を何にするかを考えていました。けれども、今年(2017年)の初め、私に伝わってきたのはマリがすでに他界したことだったのです...。

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注1:マリ(仮名)はエイズ孤児として生まれ、レストランで勤務しているときに体調不良を自覚し10代半ばで他界したのは事実ですが、本人が特定されることを避けるために、一部をフィクションにしています。

注2:タイの医療が日本より劣っているとはいいませんが、本文で述べているように結核やHIVの治療の選択肢が少ないのは事実です。また、医療以前に、タイでは「命の重さ」が日本とは異なると感じざるを得ません。今回述べたこととは関係のないことですが、例えば、タイでは年末年始に道路交通法違反のペナルティが"ディスカウント"されます(注3)。そしてタイでは年末年始に交通事故が急増するのです。この感覚、私には理解できません...。

 また、タイではお金さえ払えば簡単に殺人者を雇えると言われています。実際に雇って殺害を依頼した人を直接知りませんが、その報酬の噂は私がこれまで聞いた範囲で言うと、高くても5万バーツ(約15万円)、低いのは5千バーツ(約1万5千円)です。

注3:これはタイの英字新聞「Bangkok Post」でも報じられています。ニュースのタイトルは「Bad drivers get holiday 'discount'」、下記のURLで閲覧できます。

http://www.bangkokpost.com/news/general/1170373/bad-drivers-get-holiday-discount