GINAと共に

第121回(2016年7月) 時期尚早のLGBT対策

 LGBTを取り巻く日本での対応が変化してきています。行政の動きとしては、東京都渋谷区と世田谷区で、2015年11月から、同性カップルに結婚に相当する関係を認める制度がスタートしました。また、欧米諸国の企業がLGBTの従業員を大切にしていることが広く知られるようになり、日本の企業もLGBT対策をおこなうところが増えてきています。

 日本経済新聞(2016年6月22日、オンライン版)によれば、6月21日、日本IBM、パナソニック、ソニー、電通、第一生命保険など30の企業・団体が「LGBTが働きやすい職場をつくるための基準」を公表したそうです。

 改めて述べるまでもなく、LGBTの人たちは、社会生活のなかでストレートの人たちが思いも寄らぬ苦労をし、イヤな思いをしています。ですから、行政や企業が対策を立てることはもちろん歓迎すべきことです。

 しかし、です。対策を立て実行するには、それなりの「土壌」がなければなりません。今回はこのことを述べたいのですが、話を分かりやすくするために、少し脱線して最近世界中で大きく報道されたある事件の話をしたいと思います。

 2016年6月12日未明、米国フロリダ州オーランドで、ゲイ御用達のクラブで男が銃を乱射し、少なくとも50人が死亡、53人が負傷した事件で、警察が犯人と特定した20代の男性がゲイであった可能性が高いと報道されました。

 地元紙によれば、この容疑者は事件を起こす前にこのクラブをたびたび訪れており、同性愛者向けのデートアプリを使って、クラブの常連と連絡を取り合っていたそうです。また、別の地元紙は、「何度か一緒にゲイバーに行き、デートにも誘われた。彼はゲイだったと思う」と証言している容疑者の同級生の話を紹介しています。

 一方で、容疑者の父親は、容疑者が同性愛者を嫌う発言をしていたと証言しているそうです。「数カ月前、マイアミを訪れた際に同性愛の男性カップルが子どもたちや家族の前でキスをするのを目撃し、ショックを受けたようだった」と語っている、と報じられています。

 ここで私はこの容疑者がLGBTであったかどうかを論じるつもりはありません。言いたいことは、マスコミの報道にあるように、LGBTがアンビバレントな感情を持っていることはよくある、ということです。分かりやすく言えば、ゲイが嫌いなゲイも少なくない、ということです。

 我々医療者はLGBTの診察をおこなうとき「性自認」と「性志向(性指向)」という言葉をよく使います。「性自認」とは自分のセクシャリティが男性なのか女性なのか、「性志向」とはセックスの対象となるのが男性なのか女性なのか、ということです。まず、ここを理解しなければ患者さんの立場に立つことができません。例えば、これまで男性として生きてきた人が実はトランスジェンダーであったことに気づき、女装をする、あるいは性転換手術を受けたとしましょう。一般にはこの人の性の対象は男性と考えられると思いますが、そうではなくこれまで通り対象が女性であるということもありうるのです。

 また、そもそも性自認、性志向のどちらかが、あるいは両方とも自分でもよく分かっていないという人も少なくありません。それだけではありません。いったん固定した性自認や性志向も時とともに変化することがあるのです。例えば、私が経験した症例で言えば、ストレートの女性→レズビアン→バイセクシャル→ストレートの女性と元に戻った例や、バイセクシャル(戸籍は男性)→ゲイ→トランスジェンダーと変化していった例もあります。まだあります。パンセクシャル、ポリセクシャル、Xジェンダー、アセクシャル、ノンセクシャル、ヘテロフレキシブル(ストレートだが時と場合によってはかわることもある)など、LGBTのくくりには入らない人たちもいるのです。

 つまり、性には多様性があり、しかも時間と共に変化することもあるもので、当事者がアンビバレントな気持ち(ゲイは嫌いだがセックスの対象はゲイなど)を持っていることも珍しくないのです。ストレートの人間が、あるいはLGBTの人たちでさえ、LGBTの気持ちが理解できないことだって多々あるわけです。実際、LGBTどうしが仲が悪いということもよくあります。LGBTが一致団結してストレート優遇の社会に立ち向かう、などといった単純な図式はどこにもないのです。

 話を企業のLGBT対策に戻します。LGBTはこれまで社会的不利益を受けていたから、それを改善させたいという気持ちが企業や個人に芽生えるのは大切なことです。多くの人間には、生まれ持って「差別は許せない」という気持ちがあります。医療者の多くはそうですし、私自身もそういう気持ちが強くあります。

 しかし、当事者たちの気持ちをよく考えずに先走るようなことがあってはなりません。「当社はLGBTに対する差別があってはならないと考えている。LGBTが働きやすい企業を目指す」と言ったからといって、直ちに従業員のLGBTが企業にカムアウトはできません。実際、私が入手した情報によれば、LGBTに優しい方針を打ち出したある企業では、様々な福利厚生を発表したのにもかかわらず総務部に申請したLGBTは皆無だそうです。その企業の大きさから考えて少なくとも数百人程度はLGBTの人がいると予想されますし、私にこの情報を教えてくれたのもその企業で働くゲイの人です。

 最近報道された興味深い事件を紹介します。性同一性障害(最近「障害」ではないという意見があり「性別違和」と呼ぶ動きもあります)の愛知県の40代の会社員が、職場で性のカムアウトを強制され、精神的苦痛を負ったとして、勤務先の「愛知ヤクルト工場」を提訴しました。

 この従業員は男性から女性に名前を変更しましたが、職場では男性名を使いたいと求めていました。しかし企業側は、この要求を認めず、社内で使う名札などを女性名に変更し、さらに朝礼の場で、「性同一性障害で現在治療中です」と無理やり公表させられたそうです。このような企業の対応が人権侵害であることは明白であり、これが現実にそれなりの規模の企業で起こったことを考えると、他の大手企業がいくら「当社はLGBTに優しい企業です」と言ったところで、簡単には信じられません。

 もうひとつ、問題点を指摘したいと思います。先に述べた「LGBTが働きやすい職場をつくるための基準」について報じた日経新聞では触れられていませんでしたが、おそらくLGBT対策に企業が取り組みだしたのは、LGBTが働きやすい職場づくりを目指す任意団体「work with Pride」(以下「wwP」)が、企業のLGBT施策を評価、優秀企業を表彰する事業を始めることを発表したからだと思われます。

 wwPは、企業の取り組みを①行動宣言、②当事者コミュニティ、③啓発活動、④人事制度・プログラム、⑤社会貢献・渉外活動の取り組みの5つの点から評価し、各企業・団体を、ゴールド企業、シルバー企業、ブロンズ企業と「認定」するそうです。

 このような試みをすればどのようなことが起こるでしょう。当然各企業はゴールド企業を目指すことになります。果たしてその「意図」は何でしょう。純粋にLGBTの人たちのことだけを考えてのゴールド取得でしょうか。企業のイメージアップにつながるから、という"下心"はないと言い切れるでしょうか。

 企業が、そしてその企業で働くひとりひとりがLGBTの人たちを大切に考えるようになるのは素晴らしいことです。しかし、ゴールド取得目標が先走ったり、ひとりひとりが性の多様性について理解が乏しかったりすれば、LGBTの人たちが幸せになるどころか、その逆の結果になることもあり得ます。

 企業も、企業で働く従業員の人たちも、ここはあせらずに、まずは性の多様性についてきちんと勉強していくことが先決だと私は考えています。