GINAと共に

第70回 セックスワーカーと恋をするということ(2012年4月)

 私がタイのエイズ問題に関わりだしたとき、最も衝撃的だったことのひとつが、まだ10代の女子が親に身を売られて売春をさせられエイズを発症し死んでいく、という現実でした。

 こういった事実を知ったとき、やり場のない悲しみがこみ上げてきて、自分の子供を売り飛ばす親に怒りの気持ちを感じ、そしていたいけな女子を弄ぶ男たちに対して憎しみの感情を抱きました。

 その後、タイの貧困の様子を見聞きし、東北地方(イサーン地方)や北タイの山岳民族では貧困から自分の娘を売らざるを得ない現実があることを知り、親だけに責任があるわけではない、と感じるようになっていきました。

 しかし、女性をカネで買いHIVを感染させるような男たちを許せない、という気持ちは変わりません。なかには、日本に出稼ぎにきたタイ人女性が日本で売春をさせられHIVに感染した、というケースもあります。

 売買春が古今東西どこの社会にも存在することは認めますし、罪を重くしたところでそのようなビジネスは地下に潜るだけでかえって危険性が増す、ということも理解しているつもりです。しかし、なんとかして売買春に伴う悲劇を少しでも減らさなければなりません。そのためには何をすればいいのか・・・。この問題を考えれば考えるほど、女性をモノのようにしか扱えない男性に対する否定的な感情が強くなっていきました。

 そんななか、2005年あたりから少しずつ、タイの売買春に関する調査をおこないだし、当事のGINAのタイ人スタッフが中心となり、タイでセックスワークをしているタイ女性とその顧客(日本人を含む)に対し聞き取り調査をおこないました。

 その内容の主旨は当サイトに掲載している「タイのフリーの売春婦(Independent Sex Workers)について」で述べていますし、いくつかの学会でも発表しましたが、最も重要な結論のひとつは、「組織に属するのではなく、バーやカフェなどで自由に"営業"をしているセックスワーカー(independent sex worker(注1))とその顧客は容易に恋愛関係になりやすい」、というものです。なかには、当初はセックスワーカーと顧客の関係だった二人が結婚にいたった、というケースもあります。

 私はこのことをいくつかの学会などで報告し、「タイで外国人のHIV感染が多いのは、independent sex workerが多く、実際に顧客との恋愛や結婚にいたるケースが少なくないから」とまとめました。今でもこの考えは正しいと思っていますし、実際、日本人男性とタイの(元)independent sex workerのカップルは次々に誕生しています。そして、不幸なことに、HIVを含む性感染症に罹患する日本人も増えてきています。このような日本人男性は20代から(私の知る限り)80代までいます。

 若い男性のなかにも、3日間の休みができると足繁くタイに通うような人もいます。彼らは、日本では相当きりつめた生活をしてタイ渡航のための貯金に励んでいます。高齢者の場合は、ロングステイ中に相手を見つけて同棲にいたるケースもありますし、なかには初めから若い女性の配偶者を探す目的でリタイヤメントビザを取得するような人もいます。彼らのパートナーのすべてが(元)independent sex workerというわけではありませんが、けっこうな割合なのは間違いありません。

 もちろん、このような恋愛のすべてが上手くいくわけではありません。恋人だと思っていたタイ人女性に実はタイ人男性の旦那がいた、というのはよくある話で、ここで「はい、さよなら」と割り切れればいいのですが、なかにはショックのあまり自ら命を絶つ若い日本人男性もいます。高齢者の場合は、保険金をかけられてから謎の変死体で発見、という話も聞きますし、そこまでいかなくても、退職金の3千万円を、彼女だと思っていたタイ人女性とその親戚に騙されて奪われた、などという話はタイには掃いて捨てるほどあります。

 このように、タイ人女性、特に(independent)sex workerのタイ人女性との恋愛は充分慎重になるべきですし、この逆のパターン、つまりタイ人男性に夢中になり貢いでいる日本人女性もまた少なくありません。日本人の女性が外国人の男性に貢ぐのはバリ島の男性が有名ですが、タイでも決して珍しくありません。実際、もしもあなたが夢中になっているタイ人がいて交際を考えているなら、周りの人は「注意した方がいいよ」と忠告してくれているのではないでしょうか。

 現在の私はタイに渡航できるのはせいぜい年に一度程度で、普段は大阪で診療所の医師をしています。GINAのサイトをみて受診される患者さんもなかにはいて、そんな患者さんのなかには日本で性風俗産業に従事している女性もいますし、そういった女性の性サービスを受けた(そしてなんらかの性感染症に罹患した)男性もいます。そんな彼(女)らから学んだことがあります。それは、「彼(女)らも、最初は顧客とセックスワーカーの関係だったとしても、いずれ恋愛関係に、さらには結婚に至るケースも珍しくない」、ということでした。

 私が当初考えていたのは、タイのindependent sex workerは"特殊な"存在であり、初めから恋愛関係になることもある程度は想定しており、それは顧客もそのつもりであり、売買春ではなく「擬似恋愛」がスタートラインになっているのかもしれない、というものでした。しかし、日本人の男女からもこのような恋愛が成熟したという話を聞くと、タイのindependent sex workerが特殊な存在であることには変わりはないとしても、日本の風俗店で働く日本人のセックスワ-カーとて、まったく別の世界の話ではなく、境界を引くことができないのではないのか、という気がします。

 日本の風俗店でセックスワーカーと顧客として知り合った二人は、その馴れ初めを親や友達に堂々と語ることはしないでしょう。しかし、幸せな二人を非難することは誰にもできません。たまたま知り合った場所がそういうとこだった、というのはあまりにも陳腐な言い方ですし、おそらく彼(女)らの心のどこかには後ろめたさや何らかのわだかまりがあるに違いありません。しかし、そのわだかまりを抱えながらやっていこう、という意思があるなら、他人からとやかく言われる筋合いはありません。

 話をタイに戻すと、私がこれまで知り合った、タイ人の元independent sex workerのガールフレンドや妻を持つ日本人男性は、おしなべて言えばみんな楽しそうで、パートナーの過去のことは気にならない、と言います。

 数年前にバンコク行きの機内で隣の席に居合わせた70代の男性はナコンラチャシマ県(バンコクに次いで大きな県)に住む恋人に会いに行くところだ、と話していました。この男性は関西のある市でかつては市会議員に当選したこともあるほどの有名人だそうですが(ただし旅先で聞く話は嘘が多いので真偽はわかりません)、奥さんを亡くしてからすっかりふさぎこんでいたそうです。しかし一年前にバンコクで(おそらく客とsex workerの関係で)知り合った女性と恋に落ち、今回は女性の両親に挨拶に行くそうです。おそらく両親はその男性より一回り以上(二回り以上かもしれません)年下でしょう。私がそのことを指摘すると、「マイペンライ(気にしない)」と言って笑っていました・・・。

 このように、最初はお金の関係だったけれども後に恋愛に進展した男女のことを考えると、私が2002年にタイのエイズ施設で抱いた感情、こんないたいけな少女を弄んだ男性を許せない・・・、という気持ちが消えることはないにしても、はじめの関係がsex workerと顧客だったとしてもそんなことはどうでもいいことだから幸せになってほしい、という気持ちが強くなってきます。

 女性を弄びHIVを含む性感染症を感染させる男たちは(感染させなかったとしても)許せませんが、真剣に恋愛している男女に対しては、障害を乗り越えて頑張っているカップルのように思えてきて、応援したくなる気持ちすら沸いてきます。
 
 けれども、恋愛に溺れ「盲目」になる前にHIVを含む性感染症のリスクはくれぐれもお忘れなく・・・。

注1:「independent sex worker」という単語について補足しておきます。いわゆるマッサージパーラー(ソープランド)や日本の風俗店のような組織(店舗)に所属しているセックスワーカーをdependent sex workerというのに対して、バーやカフェなどで"自由に"顧客を探すセックスワーカーをindependent sex workerと呼びます。日本語風に言えば、「フリーのセックスワーカー」と言えるかもしれません。しかし、「freeのsex worker」という言い方は、性的サービスを無料でおこなうセックスワーカーという意味にも解釈できますので、independent sex workerという表現の方が適切です。また、independent sex worker, dependent sex workerをそれぞれ、indirect sex worker, direct sex workerと表現することもあります。