GINAと共に

第57回 ボランティアは長期が理想(2011年3月)

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の被害は今も拡大しており、3月21日23時の警察庁の発表では、死者8,805人、行方不明者12,664人となり、合わせて21,000人を超えています。

 この未曾有の事態に対し、日本のみならず全世界から応援の声が届けられ、義援金が集められています。そして、被災者の力になりたい!と考えるボランティアを志願する人も大勢います。もちろん、これだけの惨劇が起こり、多数の被害者が出ているわけですから、復興にはボランティアの活躍が絶対に必要です。

 我々医療者も、いち早く現地に駆けつけて救える命を救いたい、という気持ちは強く、災害医療に従事している医療者や、比較的動きやすいポジションにいる医療者はすでに現地入りしています。私自身も、状況が許せば参加したいと考えていますが、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院を閉めるわけにはいかず、かと言って、しばらく診療を代わってもらえるような医師もすぐには見つかりませんから、私が現地入りすることは現時点では可能性は極めて低いと考えています。

 なかには、数日間だけでも現地入りして力になりたい!、と考える医療者もいますが、私自身はわずか数日間のボランティアというのは、あまり現実的ではないと考えています。

 それは、私のタイでの経験があるからです。

 GINA設立のきっかけともなった、タイ国ロッブリー県のパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)には、世界中から多くのボランティアが集まっていました。医師、看護師といった医療者もいれば、まったく医療の経験がない一般の人や学生、なかには北欧からはるばるやってきた主婦の人もいました。

 ボランティアの期間は人によって様々で、3、4日しか滞在しない人もいれば、数年間の単位でやって来る人もいます。ボランティアに来てもらう側の立場からみれば、長期が望ましいのは当然です。そもそも、ろくにボランティアの経験もなく現地の言葉や風習もよくわかっていない異国の地からやって来て数日間しか滞在しない者をボランティアと呼べるのか、という意見もあります。

 どのような場所にもルールというものがあり、どのような職場にも業務の手順というものがあります。そのルールや業務の手順を覚えるだけでも数日から1週間くらいはかかるでしょう。それに人間関係をつくるのにもそれなりの時間がかかるのが普通です。

 震災で考えてみると、まず現地入りして、自分が所属するグループを見つけて、リーダーに自分のことをPRして、リーダー以外のスタッフとも人間関係をつくり、そのグループでは今どんなことが課題になっていて、優先順位はどのようになっているのか、ということを見て聞いて学んで、その上で自分自身に何ができるのか、何をすべきなのかを考え、被災者の方と人間関係をつくり、ボランティア業務を実践して、反省して、また実践して・・・という流れになります。ある程度被災者の役に立てるようになるにはそれ相応の日数が必要になるのは当然です。

 再びパバナプ寺の話に戻すと、この施設では、日本人のボランティアの滞在期間は欧米諸国の人たちに比べると非常に短いのが特徴でした。多くの日本人は1週間程度しか滞在せずに帰ってしまうのです。これでは仕事を覚える頃には期間が終了してしまうことになりますから、業務を教える方も身が入りませんし、ケアを受ける患者さんからみても、「どうせすぐに帰っちゃうんでしょ。そんなあなたに苦しさを分かってもらえるとは思えません」、となってしまいます。

 我々日本人はこの点については欧米人を見習わなければなりません。彼(女)らは、初めから、短くても数ヶ月、長ければ数年単位でやって来ます。パバナプ寺に欧米から来ていたボランティア達は、日本人のようにホテルに滞在するのではなく、長期でアパートを借り、冷蔵庫などの電化製品を買い、バイクも買います。要するに「ボランティアをおこなう地域に引越しする」という感覚なのです。

 そんなことできるのはお金持ちだからじゃないの?、と感じる人もいるでしょうが、彼(女)らは決して金持ちではありません。ヨーロッパは階級社会ですが、私が知る限りボランティアにはるばる来るのは上流階級の人よりも庶民の方が多いのです。そんな彼(女)らの年収は日本円にして300万円以下です。

 彼(女)らは、短期間しか滞在しない日本人とは初めから気概が違いますから、施設のスタッフからも信頼されますし、当然、ケアを受ける患者さんとの距離も近くなります。1週間しか滞在しない日本人と、長期で腰を据える欧米人のどちらが歓迎されるかは明らかでしょう。

 しかし、かくいう私もこの点については失格と言わざるを得ません。私がパバナプ寺を初めて訪れたのは2002年の夏、まだ研修医だった頃です。このとき私は1週間滞在しましたが、雰囲気をつかんで終わり、という感じでした。その当時、ベルギー人の医師が一人いて重症の患者さんのところに毎日訪れていました。私はその医師についてまわり、診察の様子を学びました。その医師に「お前は何をしに来たんだ」と聞かれた私は、「ボランティアに来ました」などとは恥ずかしくて言えませんでした。「将来エイズ患者さんのために力になりたくて、今回はエイズという病について勉強させてもらえればと考えています」、と言うのが精一杯でした。

 けれども、私の本心は、「エイズという病で身体的に苦しみ、家族から病院から地域社会から差別され、行き場を失っているこの人達の力になりたい」というものでした。その1週間を通して、何人かの患者さんがしてくれた印象深い話の影響も受け、私のこの気持ちは一層強いものとなり、「必ずこの施設に戻って、次は長期でボランティアをするんだ!」という決心をしました。

 そして2年後、再び私はパバナプ寺を訪問することになります。今度は長期で、と考えていた私は、6ヶ月から1年間の滞在計画を立てていました。しかし、ある事情が起こり(この事情は極めてプライベートなもののため内容は伏せたいと思います)、結局わずか1ヶ月で帰国せざるを得ませんでした。

 1ヶ月間のボランティアを通して、ある程度は何人かの患者さんの役に立てたとは思うのですが、私の気持ちとしては「不完全燃焼」です。そこで、いったん帰国した後も、なんとか時間を見つけてできるだけパバナプ寺を訪れるようにしました。当時、私は勤務医という身分ではありましたが、病棟勤務は担っていなかったため比較的時間の融通がつけやすかったということもあり、年に数回は訪れることができていました。そして、長期滞在できなくても、何かできることはないかと考え、施設のスタッフから電話やメールで患者さんの相談に乗り医師としての助言をおこなったり、薬を運んだり、あるいは寄附金を集めたりしだしたのです。そしてこのような行動がGINA設立につながったというわけです。

 再び東北地方太平洋沖地震に話を戻すと、ボランティアに行く気持ちのある人は、可能な限り長期で行かれることをすすめます。短期では被災者の本当のニーズが分からないこともありますし、長期滞在して初めて役に立てることが少なくないからです。

 また、長期で行くことができない方は、初めから「ボランティア」とは考えずに、「邪魔にならない程度に見学をさせてもらいたい。その上で長期滞在できない自分に何ができるかを考えたい」というくらいのスタンスで望むのがいいのではないかと思います。ただし、今回の被災地は土地勘がないと移動がむつかしそうですから、道に迷ったり、交通渋滞を招いたりして、かえって被災地に迷惑をかけることになりかねません。

 長期でボランティアをおこなうにせよ、短期間で現地の情報収集に行くにせよ、現時点(2011年3月下旬)では、当局からの呼びかけを待つべきではないか、というのが今の私の考えです。