GINAと共に

第 1回 理性では解決しない病(06年 7月)

感情には理性にはまったく知られぬ感情の理屈がある

 これは、フランスの哲学者パスカルの言葉です。
 この言葉ほど、エイズという病にとりまく事象を、的確に表しているものはないのでは、と私は考えています。

 「コンドームを使いましょう」
 「売春はよくないことです」
 「覚醒剤や麻薬は人間を破滅させます」

 これらは、言われなくても誰もが知っていることです。よく、教育の現場でこういうことを教えるべきだ、という論調があって、それはそれで正しいのですが、限界があることを知っておく必要がある、と私は考えています。
 そもそも、危険な性行為にのめり込む人も、売買春をおこなう男女も、薬物に手を出してしまう人も、そのほとんどがそれらの良し悪しは分かっているのです。

 分かっているんだけれどもやめられない・・・

 これこそが問題の本質なのです。

 では、どうすればいいのか。
 もちろん、正しい知識を共有することが大切であることには変わりありません。
 まず、薬害エイズにみるような医療従事者サイドの怠慢、母子感染の予防、検査を徹底することによって防ぐことができると思われる家庭内感染、などは知識を持つことが、そのままHIV感染の減少につながります。
 また、貧困から売春せざるを得ない少女(一部は少年)に対しては、行政やNPO(NGO)が中心となり大勢の人々にはたらきかけることによって、改善できる可能性があります。

 一般の人々に対してはどうでしょうか。
 コンドームがなぜ大切なのか、売春によるHIVや他の性感染症のリスクがどれだけあるのか、薬物を使用するとどういう顛末にたどり着くのか、などについては、しっかりとした知識を持つ必要がありますし、教育の現場でも積極的に取り入れることは大切です。
 しかし、同時に、そんな理屈(=キレイ事)だけでは解決することがない、ということを認識することはそれ以上に大切です。
 
 危険と分かりながらもコンドームを用いない性行為を求めてしまう人たち、売買春に向かう衝動を抑えられない人たち、薬物に依存してしまっている人たち、こういう人たちの立場に立って、気持ちを理解しないことには、本当の意味でのHIV予防の啓発はできないのです。
 
 よくHIV感染は「自業自得」だと言われることがあります。しかし、これほど、エイズに関連する諸問題を考えるときに、的を外した言葉もないでしょう。
 薬害エイズや母子感染を「自業自得」と言う人はいないでしょうが、売春や薬物、あるいはタトゥーなどで感染した者に対しては、「自業自得」という人が少なくありません。

 しかし、決してそうではないのです。
 危険かもしれない性行為、一度だけにすると決めて手を出してしまった薬物、あるいは好奇心からつい入れてしまったタトゥー、これらは「自業自得」なのでしょうか。長い人生のなかで、このようなことが一度でもあれば、それは卑下される「自業自得」の行為なのでしょうか。
 これを「自業自得」だと言う人は、きっと聖人君子のような方なのでしょう。そういう人は誰からも尊敬される素晴らしい方なのでしょう。
 幸か不幸か、私はそんな聖人君子のような人間ではありません。そして、聖人君子が「自業自得」と呼ぶような行為をしてしまう人に感情移入をしてしまいます。
 私のような凡人からみれば、「自業自得」と言われる行為は、人間らしくて理解できる行為なのです。
 私に言わせれば、長年の喫煙から発症した肺癌や、度重なる忠告を無視して暴飲暴食を繰り返したことにより発症した糖尿病の方がよほど「自業自得」です。けれども、一般的に癌や生活習慣病はそのような対象とは見られず、HIVや性感染症が、他人から共感されない「自業自得」の病、さらに「差別」される病となっているのです。

 パスカルの言うとおり、感情というものは、ときに理性では解決しない衝動を持ち合わせています。人間は理性だけで行動しているわけではないのです。

 私が、HIVや性感染症に取り組もうと思ったのも理性だけではありません。

 病気が原因で病院を受診しているのに、その病気が原因で病院からも差別される病・・・。
 こんなことがあっていいのでしょうか。
 いいはずがありません。
 この想いがきっかけとなり、私はHIVや性感染症に取り組みだしました。

 私がHIVや性感染症に関連する諸問題を解決したいと思う気持ち・・・

 この気持ちもまた、理性では説明できない理屈から生まれた感情によるものなのです。

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